![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/118073909/rectangle_large_type_2_be4151090f211d8d2f636f313e6807b2.jpeg?width=1200)
バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑳(ハウスクリーニングのバイト〜The Weekender結成)
前回、無職で迎えた正月のことを書いたけど、その後とうとう家賃の支払いができるかも怪しくなってきたので、週払いのハウスクリニーングのアルバイトをすることに。
事務所は渋谷にあった。
オバちゃん社長はなにかの宗教の信者なのか?またもや「社内に神棚があるような会社」だった。
社員やアルバイトが部屋に出入りする時は短時間でも(トイレに行って帰ってくるだけでも)「行ってきます!」「ただいま!」と言わなければならないという謎ルールもあった。
オバちゃん社長は時々、神棚に向かって「エイッ!エイッ!」と泉アツノさんのような声で念を送っている時が、、、
![](https://assets.st-note.com/img/1696485240217-wHJPeQPbMF.jpg)
こういうバイト先ばかりに当たってしまう俺の変な引きの強さはなんなのだろう?
朝は一度事務所へ行ってから社員スタッフの運転する車で各現場へ行く。
ここでもいろいろな人たちに会った。
身長が150センチ台と小柄だが妙に筋肉質でまるでミゼットプロレスの選手の様な雰囲気、中学生の頃からディスコで遊んでたとかで昔はやんちゃだった風のAさん。
私服は当時のアメカジ系、お洒落な感じで話も面白かったけど車の中に新興宗教関連のパンフレットがたくさんあったのがちょっと気になったBさん。
MANIC STREET PREACHERSの大ファンで昔バンドをやっていたという胸に孔雀のタトゥーを入れていたCさん。
ゲーム関連の仕事をしていたが、やむおえない事情で今の会社で働かなければならなくなり、本当はやりたくない仕事に常に泣きべそをかいたような顔をしていたDさん。
昭和のガチなオタクの風貌かつ、とても無口でなんとなく誤解を受けがちだったが、現場にヒキガエルが現れ騒動になった時には無言で素手で持ち上げ「もう大丈夫だよ」とばかりに離れたところへそっと移動した実は心優しきEさん。
昔は劇団を率いていたとかで、今でも演劇に対する未練が拭えないといった感じ、いつもどんよりとした二日酔いの様な目付きをしていたFさん。
元サッカー青年でやたらと声がデカくとにかくエロ話が多い、仕事は異常に早いけど、漂白剤の臭いが目に染みるほど充満した中でもこの人はろくに換気もせず平気で作業していたGさん(脳にダメージ大丈夫かな?)
すっかり更生した七三分け+スーツ姿、しかし銀縁メガネの奥の眼光がやたらと鋭かった課長のHさん。(他の人から聞いた話では過去に喧嘩で日本刀を持ち出すような暴走族の総長だったとかなんとか)
この課長に俺は「室内でコートを着ていた」というだけで叱責されたりした。
それくらい変に礼儀作法にもうるさいところで今考えると「やってられっかよ」なのだが、背に腹は変えられないので辞められなかった。
おばちゃん社長が給料日になるとスタッフを手作りの食事でもてなすという、ありがた迷惑な行事もあった。
18歳の頃働いていたペンキ屋のおかみさんも同じことをしていたな。
アパホテルの社長もカレーのレトルトとか出してるし、おばちゃん社長というのはそういうことをしたがる人種なのだろうか?
もちろん当時の俺はそんな行事には一切出席しなかったけど、今だったらそこまで拒否する気は無い。(だけど皆さんそんなことより早く家に帰りたいよね)
仕事内容は入居者が退去した後のアパートやマンションのクリーニングやクロスの張り替えが主で他には敷地内の清掃など。
時には便器に付いた尿石をマイナスドライバーでカリカリとこそげ取るような作業もあり、最初は抵抗もあったが、慣れとは恐ろしいものでそんな作業をした後でも平気で飯を食ったりできるようになる。
真冬でも水をじゃぶじゃぶ使う仕事なので当然寒いんだけど、手が慣れてくると不思議と水もぬるく感じてくる。
もともと期間限定のバイトだったけど半年くらい居たかな。
最後の方は課長から「社員にならないか?」と誘われた。(こういう若干カルトっ気のある職場に気にいられるということが過去にもあった。※連載⑩)
今でも時々この会社の車を見かけたりするがみなさん元気なのだろうか?
そんなアルバイトをしながらなんとか金欠も乗り越えられそうになった頃、ようやく新しいバンドを組む元気も出てきた。
ちょうどそのころ子育てでしばらく田舎に帰っていた、きん君が東京に戻ってきた。
きん君とは俺がハニーハンターというスカム〜Lo-Fiバンドをやってたころからの知り合いで、「デスコンピュータース」というユニットで大阪にライブをしに行ったりもした。(※連載⑥)
ちょうどその頃、彼もロウでストレートなバンドをやりたいようなことを話していた。
きん君とは同じ歳だし音楽の趣味も合う。
そうだ!今度はきん君にギターを弾いてもらおう!
これが今につながる腐れ縁?の始まり。
The Weekender の結成となるのだった。
※見出し写真は初期のThe Weekenderの頃。
こういう感じがロックンロールなんだと思っていた。