上京してバンドを組むまで1990年代②「船橋市時代」

高校卒業後、就職したスーパーをわずか3ヶ月で辞めた俺は寮のオバサン、先輩オッさん社員(どす黒いオーラが立ち込めていた)の冷ややかな視線を浴びながら寮を後にした。

新たな住まいは叔父さん、叔母さんが住む西船橋のアパート。居候という形だ。

仕事を辞めたら蒸発して即バンド聖地の高円寺に住むという計画が崩れたのでその時は内心渋々という感じだったが、今考えると叔父さん、叔母さんは全くもって命の恩人だ。

あのまま住み込みかなにかで無理矢理中央線沿線に住んでいたら、それはそれで面白い展開になったかもしれないけど、俺は何となく悪い方向に向かって自滅して行ったと思う。

叔父さんが働いている塗装屋で一緒に働くことも居候の条件で、確か引越してすぐ次の日から働きに行った。

その時の俺はバンド結成のことしか頭になかったので「現場仕事だし音楽やってる人が居るかもしれないな」と密かに期待を寄せていたりしたのだけれど、、、

その塗装屋に居たのは比較的若い3人は皆ヤンキー上がり、あとは見事にオッさんばかりだった。

普段は話も面白くてなんとなく落語家のような雰囲気もあったけど酒乱だったFさん。(定期的にバックれては親方にわびを入れまくって、また職場に戻ってくる)

「酒を飲んで車で走っていると飛ばせ!飛ばせ!と幻聴が聴こえてくるんだよ」というOさん。(見た目がめちゃくちゃ怖かったけど温厚)この人は若い頃のバイク事故で足がふん曲がっていたけど足場に登る作業もなんなくこなしている働き者だった。※今では信じられないくらい世の中が飲酒運転にも甘かった。

昔は画家志望だったというSさん(常に目がどんよりしてた)は話に夢中になると運転中も平気で後ろを向いてゆっくりと話しかけてくるので、みんなこの人との同乗は怖いと言っていた。

お客さんへの対応も良く一見、常識人のようだが実は無免許で毎日運転しているTさん。(検問が近いと他の人に運転を代わってもらう。絶賛お嫁さん募集中)

吹き付け作業中にラリってしまい「俺ってカッコいいだろ〜う」とパーマを撫でつけはじめたちょび髭が似合うオシャレなKさん。

見た目は99%ルンペン(この人の作業車の中はめちゃくちゃ散らかっていた)だけど、家庭もちで戸建ての家に住んでいるという実はしっかり者のAさん。

親方は恰幅も良く昭和の大物歌手の様な雰囲気で、現場を休んだりバックれたりする職人に対しても寛容だったが、現場で訪問した先の奥さんを何人も口説き落としているというまるでムード歌謡の歌詞のような人だった。(某新興宗教の熱心な信者でもあった)

ペンキを刷毛で塗っていくという作業自体は楽しかったけど俺には致命的な弱点があった。

高い所が怖いのだ。

町場の住宅の塗装がメインとはいえ足場の上に吹き付けの一斗缶を持って登り降り(しかも今では禁止されている木の足場、安全帯なんかも無し)する工程が怖くてしょうがなかった。

ヤンキー上がりの先輩Bさん(土田世紀先生の漫画に出てくる感じ)がガン吹きで塗料を吹き付けた後をシンナーを染み込ませたローラーでならしていくのだが、足場の上が怖い俺は毎回手元が覚束なくなり、Bさんの頭の上にポタポタとシンナーを垂らしてしまうのであった。(毎回恐ろしい目付きで睨まれた)

あとはみんなで酒を飲んでいる時(毎月給料日は親方の家で食事や酒を振る舞ってくれた)、SさんとFさんが「ソープランドでソープ嬢のアソコを舐めるか?舐めないか?」の議論を真剣にしていたり、ゴルフ好きの親方に付き合いでゴルフ場に連れて行かれたりするのが18歳のヤングパンクスの俺には耐えられなかったのであった。

叔父さんに借りたゴルフウェアでプロゴルファー猿そっくりに写っている今見たらむちゃくちゃ面白いであろう写真も即捨ててしまった。

塗装屋の個性的なみなさんのことを書いているだけで長くなってしまい今回音楽、バンドらしい話は一切出てきませんでした。

あの時は「こんなオッさんばっかりの職場に居られるかよっ!」と思ったけど生意気な若造の俺にみなさんとても優しかった。

急に仕事に行かなくなった俺を心配して親方の奥さんがアパートまで来てくれてりしたっけな。


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