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バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑬(その頃やっていたバイト)
前回からまた空いてしまった。
最近「老眼」がひどい。
文字を打ってるとすぐに疲れるし、読書をしていてもすぐ目が痛くなってきてしまう。
年相応のこういった身体の変化をまだ素直に受け入れられない。
おそらく長くてもあと30年位で死ぬなと思うと、やりたい事に対して時間が全く足りない。
さて、今回は当時(97〜99年頃)にやっていたアルバイトについて書きます。
ちょっと宗教くさい雰囲気のあった謎の和菓子工場は辞めて渋谷のとあるレストランで働くことに。
そのお店は宇田川町にあった。渋谷という街には全く好印象はなかったけど、飲食店にしては珍しく日曜が定休日だったのでバンド活動向きだと思い応募した。
面接してくれた店長は太宰治似の穏やかな人で、一応飲食店経験(船橋市時代の居酒屋勤務)があったからかすぐに採用。
ただ、前に働いていた居酒屋は数人を除いて料理の知識も腕も中途半端な人が多かった。(もちろん俺も)
新しく働くところは夜はフレンチ、イタリアンを中心にワインやカクテルを提供しており、昼は和洋中のランチもやっているというお店。
食べ物には興味はあるけど、そういったお店で飲み食いしたことはほとんどなかった。
だが、店長も他の従業員も俺がバンドをやっていることも認めてくれ料理のことも一から親切に教えてくれた。
割と気取った感じの店だったが、働いている人達はみんな気さくで仕事をしていても楽しかった。
その中で印象深かった人がいる。
「Hさん」
当時40代前半で前職は某大手ホテルの支配人をしていたとか。
背が低く、天然パーマ、赤ら顔、いつも眠そうな目つきで暇さえあればしょうもない下ネタをぶつけてくる。
バンドをやっていることを話すと。
「パートは?」
「ギター?ベース?」
「それともサイド?」
サ、サイドって、、、サイドギターのことなんだろうけど。
Hさんも昔キャロルのコピーバンドをやっていたという。
Hさんは理由はわからないが今までに奥さんに3人逃げられている。
性格的には問題なさそうな人だったんだけど。
実は性的な面でド変態とかだったんじゃないかな?と勝手に思っている。
飲食店で働いたことのある人ならわかると思うけど、厨房ではなぜかやたらと下ネタが横行しているものだ。
現代でもそうなのだろうか?
当時の時代背景的なものなのだろうか?
食というのは命に関わることだから笑いも自ずと根源的なところに行くのか?
ちなみに今働いている福祉業界では全くといっていいほど下ネタを言う人がいない。(それはそれでなんか釈然としない)
別に下ネタを聞いたり、言ったりしたくてしょうがないわけではないけれど、こういった職業別によるノリの違いとは一体なんなのだろうと思うことはある。
Hさんの下ネタはド直球すぎてここに書いても多分笑えない。
職場は酒好きの集まりで、賄いの時にビールも出たりして日々それなりに飲んでいたけど、まだこの時点では俺のアル中は始まっていない。
レストランで働きはじめて一年位経った頃、のちに過度に飲酒するようになるきっかけの事件があった。
それは思い出したくも無いしここに書く気も起きない。
とにかくそのことを忘れるために現実逃避がしたかった。
気がつくと出勤前にジンやウォッカを一口含んでから出かけている。
そんな状態だから職場でも集中力が無く、料理の盛り付けをミスったりして怒られることも増えた。
温厚な店長にもブチ切れられたりして段々仕事を続けるのも気まずい雰囲気になってきてしまった。
酒のせいか今考えると奇行も多かった。
電車の中で平気でコンビニの弁当を食べたり。
同じく電車の中でベースの弦を張り替えたり。
連日昼酒を飲む俺を見かねて、一緒に住んでいた弟にキレられたのもこの頃だ。
そしてタイミング悪く職場には最高に相性の合わないやつが入ってくる。
そいつはCAPTAIN SANTAの服を着ていた。(そんなもの着ているやつを初めて見た)
続く。
※見出し写真は酒で頭がふやけ始めたころのもの。この写真を調理師免許取得のための書類に使用。見事に落ちました。(そりゃそうだ)