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海外に行きたいんじゃ!

今回の担当:藤井悠登

コロナで行けなくなった海外

私がやりたいことはワーキングホリデーです。現在コロナの影響で海外だけでなく国内でも県外にでることすら難しくなっています。最近まで、私が住んでいる大分では岩手に続き感染者数が0でした。ですが、旅行で大阪に行っていた夫婦が大分に戻ってから発症が確認されたのです。

私の周りでも「この時期に大阪行くなんてありえない」「良い迷惑だ」といっている人がいました。それだけまだコロナの脅威は大きく海外などとてもいけないのだろうと思います。一方で、このコロナが終わったら世界中を旅したいと言う気持ちも日に日に強くなって行っています。そんな私が何故海外が好きになったかについて話させてください。

私の実家は他の人に比べて少し裕福でした。母親がいなかったこともあり、週の半分以上は外食で、なにも知らない私はそれが当たり前で皆そうであると思ってました。今かんがえると相当嫌なやつですね。笑
そんな家であったからこそ本当に特別なことがあったときには旅行に連れて行ってもらいました。でも、それで私が本当の意味で海外旅行を好きになったわけではありません。確かに美味しいものを食べれて日常でできないような遊びをしたり海に行ったりととても楽しかったです。しかし私の転機となったのは中学3年生の頃に卒業旅行として行ったオーストラリアでした。

転機となったオーストラリア

私が小さい頃空手を教えてもらっていた消防士とジムの経営をしていた父親の知り合いがいたのですが、その人が50半ばになりいい区切りだと言う事で消防士を辞めました。ジムの経営を娘に任せ英語を勉強してみたいとのことでオーストラリアに単身向かったのです。その彼が一年間オーストラリアで生活をし、日本に帰ってきてオーストラリアで過ごしました。

帰国後にオーストラリアでの話を父にしていた時、「お前にとっていい経験になるから一緒に遊び行ってこい」と言われて行ったのが私の転機となったオーストラリアでした。今までは父と一緒に行く旅行はスーツケースにパンパンに行く日数分の服を入れ何も考えず良いホテルに泊まると言うものでした。

しかし、オーストラリアではホテルに泊まるのではなく、バックパッカーでした。1週間以上行くのに、その日着ている服と次の日の分ともう一枚だけTシャツと向こうの知り合いに渡す日本のお菓子をバックに入れただけでした。

向こうでは自分が今まで経験したことのないような毎日でした。彼の友達のリビングで寝たり彼の通っていた学校の先生の家で寝たり、街を歩いているとそこら中に薬物をした後にハイになっているひとがいたりしました。見たことがないようなものばかりでとても新鮮で面白かったです。

私が泊まった家にも薬物をしている人がいてとても驚きました。しかし、それ以上に、タクシーで当たり前のように目的地につく旅行と違って、四苦八苦しながら電車や熱い街中を歩き夜は彼の友達と夜中まで話したその時間が私を魅了しました。英語が下手で口下手な私が話す英語が通じた時はとても嬉しくもっと話せるようになりたいとおもわせたのです。

国外に飛び出したい!バックパッカーがしたい!

私は大学に入りその思いが一層強くなり、去年タイとマレーシアにバックパックに行きました。そこでは、奇想天外な毎日がとても楽しく、たくさんの人と関われました。バックパッカーとしての旅行が恋しく、コロナが治まった際にはすぐにでも飛び出したい気持ちでいっぱいです。

最近では碇ゼミの愉快な愉快な仲間たちの留学の話を聞き、行ってみたい国も増えました。どうかコロナの特効薬ができることを願っています。

長くなりましたが読んでくださりありがとうございました。

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明日の執筆担当は、サブカルで起業を目指す三重野君です!