「反対の賛成」と「賛成の賛成」の危険性
2015年7月15日に衆院平和安全法制特別委員会にて安保関連法案の採決が強行という形で可決された。国会議事堂内では野党がプラカードを掲げ、外ではデモも行われた。
この一連の可決に対して、野党は猛反発をしていることはマスコミなどで報道されている通りだ。「戦争」という言葉が頻繁に使われ、現政権の批判を繰り返している。
「戦争」という言葉からポジティブなイメージを持つ人は少ない。先の世界大戦では多くの日本兵が戦死し、原爆を投下され多くの尊い国民の生命が奪われている。
しかし、元々の「平和安全法制」という根本の議題が置き去りになり、「戦争反対」という、単純化された内容にすり替わってはいないだろうか。単純化された言葉は、理解しやすく多くの人に浸透しやすい。だが、時に単純化された言葉は、人々の思考を止めることがある
「反対の賛成」は簡単だ。「賛成の賛成」も簡単だ。単純化された意見に乗っかることはいともたやすい。特に今回のように多くの人がネガティブイメージを持つ「戦争」というセンセーショナルな言葉を使われると「反対の賛成」することが「正しい」ように思える。
なぜ「平和安全法制」の可決が必要で、その法制はどんな問題があるのか?という理解なく「戦争反対」という反対意見の賛成は大きな危険が内在していると考える。
もちろん自分も「戦争」には反対で「平和」な生活を送りたい。今回の「平和安全法制」可決が「平和」な生活を乱す法制なのか、ちゃんと調べて自分の考えを持っているのかと問われると「いいえ」と答えるほかない。なにも知らないし、知ろうとしていなかったからだ。
知ろうともしていないのに「平和安全法制」=「戦争法案」という言葉に踊らされてはいないか。
周辺国による国土の実効支配や軍事力の増強、増えている領海領空侵犯、日本国土に向けたミサイル実験など、日本を取り巻く情勢は、大きく変わってきている。戦争は自国の好戦的イデオロギーのみが原因で発生するものではない。周辺国との軍事バランスが不均衡になっても発生しうる。それらに対応した法制、ときには憲法の改正は必要なことではないか。
たしかに国民の理解を得ることなく強行採決に踏み切ったことは批判して然るべきだ。今からでも遅くはないから「平和安全法制」を知ることを始めよう自分は思う。
内閣官房 -「平和安全法制」の概要(PDF)
防衛省 - 日本を取り巻く安全保障環境が大きく変わりました。(PDF)
「平和安全法制」=「戦争法案」=「安部首相は悪だ」という流れによる首相へ対する個人攻撃は恐ろしい。政府の仕事は国防だけではない。それを無視して個人を攻撃し始めている野党、マスコミは文化大革命時の紅衛兵を日本で作ろうとしているように自分には見える。
戦争でも人は死ぬが暴走したイデオロギーも人が死ぬ。