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「写真を読む」って撮る以上に大事なことなのでは?

Q. 写真ってどう読むのが正解なんだろうか。

A. 正解など無い。膨大な量の写真を読み、自分はどう感じたかを問う…この作業の繰り返しで写真に対する解像度を上げるほかない。

1. book obscuraにて

写真が分からなくなっていた。
写真を撮って、フォトブックにしたり、グループ展へ出展したりもした。しかし、今後写真という媒体を用いてどのような表現を作っていけば良いのか、だんだんと分からなくなってしまった。

まだ写真について理解が浅い。文章と同じように写真にも正しい読ませ方みたいなものがあって、自分はそれを知らないだけではないのだろうか。

そこで、写真集専門店『book obscura』へ向かった。ここにはあらゆる教材が集まっている。

井の頭公園の奥に佇むこのお店には、写真集研究へ情熱を注ぐ店長さんがいらっしゃる。思い切って今回の件について尋ねてみることにした。

「正しい写真の読み方はありません。写真を見てあなたが何を感じたかが重要です。」

「…あ」

呆気に取られた。

2. 写真という「言語」

店長さん曰く、写真は地球上のあらゆる言語よりグローバルな言語なのだという。

言葉で表現できる範囲というのは非常に狭い。
日本語の「かっこいい」という言葉をとっても、僕の「かっこいい」とあなたの思う「かっこいい」の内訳は異なる。また、日本語の「かっこいい」は英語だと”cool”と訳されるがニュアンスは多少異なる。ところが、写真は実に便利だ。僕が「かっこいい」と思ったものごとを写して「僕は『こう』見たんだ」で一撃だ。これは言語や国籍を越える。

ただ、写真は他者の目に入った時点で、他者の感性に委ねられる。本来、読み方を規定できるものではないのだ。

もちろん、新聞記事のような言葉を補うための写真や、ステートメントやキャプションなどの言葉で補って見方を規定する写真もある。しかし、それは写真の使われ方に過ぎず、写真そのものを読むことではない。

3. 僕がどう感じたか

店長さんは、初めて写真を読むときにあえてステートメントには目を通さないという。

なんて恐ろしいことだろう。写真の「意味」が分からなければ、不安でしょうがない。しかし、自分の心で読むというのはそういうことなんだ。他人の作ったガイドラインに基づくのではなく、自分の感性に基づいて自らの手でラインを引く作業なのだ。

すなわち、「『この写真かっこいいな』と思ったらどうしてかっこいいと思ったのかを考える」ということだ。

過去にフォトワークショップで、ある写真家の先生にも同じような言葉をいただいたことを思い出した。外で撮ってきた写真をテーブルいっぱいに並べて、メンバーで講評をしていたときである。

「さて、撮ってきた写真に対してどうしてその瞬間にシャッターを切ろうと思ったのか、考えてみましょう。そこにあなたの『好き』があります。」

写真を読むことで、自分の心理を読む。これは自己分析だ。写真を見たときの心理状態を言葉で秩序立たせる。これを繰り返す。

何冊分やれば身につくのだろう?最低100冊!?いやいや、分かるまでに決まってるよなぁ?

他にも店長さんからは貴重なアドバイスをたくさんいただいた。自分の中で大事にしたいのでここには書かない。

僕は自分の感性に基づいて「おっ」と思った写真集を1冊購入した。

4. 写真褒めスペ

しかし、「写真を読む」ことは写真集以外でも可能だ。SNSのタイムライン上にある写真たちだって立派な教材になるはずだ。

近頃、私がハマっているXスペースがある。写真を読むトレーニングに打ってつけだ。

「写真褒めスペ」は、Xで2週間おきに開催されているスペース。写真家のにんにきさんと写真家・NFTアーティストの神寺さんのお二人をホストに、リスナーが投稿した写真を文字通り褒め合う場である。
(↑上記リンクの記事がものすごく分かりやすくまとまっています。)

リスナーも僕のようなド素人からプロフェッショナルの方までさまざま。特に気に入っているのが、参加者へ気軽にコメントを送れるところ。普段であれば、殺伐としたTLの中で気に入った写真投稿を見かけても、突然愛を伝えるにはなかなかの勇気が要るだろう。(何分コミュ障なので…)しかし、このスペースでは「褒め・褒められ」が徹底的に推奨されているので、臆することなく気持ちを伝えられる。

そして、何より「褒め」の言葉は相手を幸せにする。

ただ、「褒め」の言葉を生み出すのには体力が要る。ここまで述べてきた「写真を読む」作業をしなければならない。自分の感性に基づいて「良いやん!」と思った部分について考える。

これは一種の筋トレだ。
パワー。

こちらのスペース、次回の開催は1/14(火)だ。「写真を読む」トレーニングをしに是非参加してみてはいかがだろうか。

5.まとめ

写真なんてカメラで撮っておしまいでも困らない。もっとも、ただの記録方法に過ぎない。しかし、写真のことをもっと知りたい、写真を用いた表現をやってみたいともなると、撮った後の方が大事になる気がする。そして、写真を読むという、言葉ではない言語を読む作業を繰り返すことで、撮って終わっていた頃とは異なる写真の姿が見えてくるかもしれない。

僕はまだ写真のことをほとんど分かっていない。

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