食堂と定食

その日は外食がしたくなって会社を出た。

オフィス街のお昼のランチタイム。

街中のあらゆる飲食店は、サラリーマンやOLなど、近隣で働く人達が列をなしていた。

なんとなくいつもは通ることのない裏通りへと入っていった。
ぽつぽつと店はあるようだがどこもシャッターが閉まっている。
諦めかけたその時、目の前の少し寂れた店に暖簾がかかっているのを見つけた。
見上げると暖簾の上には店の看板があった。
どうやら食堂のようだ。

「く…くにまる食堂…」

店構えに似合わないカラフルな文字の店名と、店主と思われる中年の男性の似顔絵が入った看板。

「おー、いらっしゃい!空いてる席どうぞ」

店の扉を開けると、表の看板と同じ顔だが少々くたびれた感のある店主の威勢の良い挨拶が耳に飛び込んできた。
店内には、咥え煙草の店主と中年の男性客の2人だけ。
腹を空かせた私は、すぐに注文をしようと思ったのだが、見渡してもメニューがどこにも見当たらない。

「すいません、メニューはないんですか?」

「兄ちゃん悪いねえ、うちのメニューはひとつしかやってねぇんだ」

すると店主は短くなった煙草を最後の一服まで吸いながらこう答えた。

メニューが一品って…
もはや食堂じゃない、ひと昔前の牛丼屋みたいだ。
しかもこんな裏通りでこの客の入り。
よくやっていけるもんだ。

「何があるんですか?」

「表の看板は見ただろ?ウチはくにまる食堂って名前なんだ。くにまる食堂っていやぁ、食べさせるのはくにまる定食に決まってるだろ?」

店主は2本目の煙草に火をつけながらこう答えた。

なんて食堂なんだ。
くにまる定食??
そんなのわかるわけないじゃないかと思ったが、この空腹がそんな文句もすぐに吹き飛ばした。

「じゃ、そのくにまる定食でいいよ」

「あいよっ!」

すると店主は火をつけたばかりの煙草をひと口吸うと灰皿に押しつけてすぐに消し、勢いよく厨房に入っていった。

オーダーが通った安心感も束の間、どんな料理ができあがるのかと少々不安になり、待つ時間がとても長く感じられた。

「へいお待ち!サービスでご飯の大盛にしといたからな、うん」

店主が厨房から料理を運んできた。
ご飯に味噌汁、数品のおかずにお新香といったごく普通の朝食。
大盛ご飯が嬉しい。
空腹の私はご飯を口に運んだ。

「どうだい?美味いだろ?料理は愛だよ、ラブ。ラブ注入ってな」

店主が何か話しかけてきた。
なんてことのない普通の朝食だがたしかに美味い。
炊き立ての米の甘味が口の中に広がった。
しかしこの店主のラブは勘弁してほしい…

なんとなくふと隣の席の男性客に目をやった。
髪をツンツンに立てたメガネの中年男性。
食事はとうに終えているが、何故か食べ終わった食器をカウンターに一列に並べている。

不思議そうに眺めている私に店主が言った。

「なぁ、気になるだろ?こいつはいつもうちの味を盗みにきてる同業者なんだよ。なんの願掛けか知らねぇが、いつも食べ終わると器をこう一直線に並べてやがんだ。変な奴だよ」

すると変な奴だと言われた男性客は、笑顔でこう返してきた。

「いやぁ、盗みにきてるだなんて心外だなあ。私はこの店の味に惚れ込んで毎日食べにきてるんですよ。今日だってほら、さっきまでお客は私1人だけ、常連の私が居なかったらこんな店潰れちゃいますよ!」

「何言ってやがる、表通りのおめぇの店でもこれとおんなじような定食を出してんじゃねぇか、まあ、別に俺は気にならないけどね、まったく同業者てのはこれだから嫌なんだよ」

そうかこの人は近くのライバル店の人なのか。
まあなんてことはない普通の定食ではあるけれど、どっちが美味いのだろうかなんて考えていると男性客がこう返した。

「よく知ってますねー、本当は気になってんじゃないですか?まあ、お宅と違ってうちの店は朝から営業してるんで朝食メニューに取り入れたら大人気になりましたよ」

なるほど、この人のお店では朝食でこのくにまる定食を出してるのか。
なんだかんだで、客を取り合わないよう時間帯を分けて気を使ってるんだな。
同業者で切磋琢磨。良い関係じゃないか。
くにまる定食…そういやこの人のお店ではなんて呼んでるんだろう?
ふと疑問が湧いた私は、2人に向かって質問を投げかけた。

「じゃあ、朝食では、メニューになんて名前をつけてるんですか?」

まず店主が、男性客に向かって言った。
「そういや、俺も知らねぇな、まさか、くにまる定食だなんてうちと同じ名前じゃないだろうな?おい、なんて呼んでだよ、ヒロシ」

するとその男性客、いや、ヒロシはこう答えた。

「おはよう定食」

一瞬の沈黙が流れ、店主があきれた顔でカウンターの上にある古いラジカセのスイッチを入れた。
すると懐かしい曲が流れてきた。
MAXのTORA TORA TORA…
私を含む店内の3人はその曲を無言で聴き入っていた。

<完>

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