今でも印象に残っている野球の新人戦
悔しかった試合を思い返してみると、小学四年生まで遡ることになる。
今でも印象に残っているその試合は、真夏に開催された小学六年生を除いたメンバーで構成される新人戦だった。
新人戦といっても、私の所属していたチームは、田舎町ということもあって人数があまりいないチームであったため、下級生から試合に出させてもらうことができた。
そのため、試合慣れしているとまでは言えないかもしれないが、初めて出場する緊張感みたいなものはほとんどなかった。
ただ、一つ気がかりだったのは、ポジションがいつもと違う事。四年生の頃は外野を守っていたが、五年生になると上級生が卒団するため一塁手をする予定で、新人戦も同様に一塁手になる予定だった。
しかし、一つ上の学年で三塁手を守っていた先輩が、事情があって試合に出れなくなり、新人戦が始まる数週間前から三塁手として練習することになった。
決して機敏とはいえず、体もムチムチだった私が三塁手をやることになった理由は、小学一年生から野球をしているという野球歴の長さと、他の人と比べてほんの少しだけ肩が良かったからだ。それ以外には目をつぶるというか、苦肉の策としての三塁手としての起用だった。
一回戦を勝ち上がれば、二回戦以降は三塁手の先輩が戻ってくるため、本当に一試合限定の急造三塁手だった。
といっても、相手チームもそこまで強くはなく、試合前に二回戦の事を考えているくらい舐め腐っていた。
普通にやれば十分に勝ちが見込めるため、試合が始まる前まではそこまで緊張はしなかった。
だが、
試合が始まると一転、急造三塁手であることが相手チームにバレてしまったのだ。ポジションの確認やバントの時のチャージが明らかにどれもワンテンポ遅れているため、終盤に集中狙いされることになる。
まずはゴロを打つときには三塁手狙いを徹底していた。とはいえ、危なっかしくはあるがゴロならまだ処理はできた。
続いて、三塁側へのセーフティバントだ。今考えてみても、少年野球ながらに恐ろしい事をしてくるもんだなと思った。
ここで私は大沼にはまってしまう。
焦ってエラーをして、投げなければいいものの無理やり投げて暴投。
そうなると、さっきまではできていたはずのゴロ処理までもができなくなってしまう。完全にテンパって何もかもがわからなくなっている状態だ。
ちゃくちゃくと追加点を入れられ、気づいた時にはもう最終回。
小学四年生ながらに思っていた。
「この試合が負けたら、俺のせいになる。」
負けたとしてもチームメイトから責められることもなければ、監督やコーチから怒られることもない。
それがわかっていても、プレッシャーに押しつぶされた私にとって、その事実は耐えがたいものであった。
でも、ここまでならまだ言い訳ができた。
「こっちも点を獲れていないから、エラーがなかったとしても勝てなかったよね。」
最後の攻撃が始まる前までは、ずーっと頭の中で自分のせいじゃないと言い聞かせていた。
自分の精神状態を潰さないように、必死で負けた責任を分散する方法を試合中に考えていた。何よりも、負ける事よりも自分の責任になる方が嫌だった。
その思いも空しく、最終回にツーアウト満塁一打逆転、打席には私という漫画のような展開が出来上がっていた。
これが、漫画の主人公やプロ野球になるような選手であれば、逆転満塁ホームランを打って後々wikiなどに書かれると思う。しかし、あまり認めたくはないが私は凡人。ただ野球を始めたのが皆より少し早かっただけで、それ以外は極普通の小学四年生だ。
結果、スリーボールツーストライクからストライクを打てず見逃し三振。
スリーボールというのも粘ったわけではない。前の打者がフォアボールで出塁していて、多少コントロールが荒れていたため、自分もなんとかフォアボール狙いで出塁しようと考えていた。
そんなことを考えていたからなのか、新人戦最後の打席は一度もバットを振ることができず、チームの敗退が決まった。
打撃、守備に関してもチームメイトの足を引っ張り、間違いなく戦犯になった小学四年生の頃の新人戦は幕を閉じた。
私はよく泣く小学生で、試合に負けるといつも泣いていたのだが、この日は泣くことができなかった。
今考えてみれば、悔しすぎて涙を出す余裕もなかったのだろう。
ただ、これをきっかけにして練習に取り組む姿勢を変えたとか、日常生活において野球にかける時間の比重を多めにするとか、そういうことは一切しなかった。
そこが、プロになれる選手と私のような凡才の選手との大きな違いなんだろうな。
それでも、悔しかった試合を聞かれたら当時の事を思い返すから、それなりに真面目に練習に取り組んではいたのだと思う。
結局、野球は大学を卒業するまで続けたが、ここまで明確に自分のせいで負けた試合というのは、今回書いた小学四年生の頃の新人戦が最初で最後のような気がする。
もしかしたら覚えていないだけであるのかもしれないけど、人生で一番悔しかった試合はなに?と聞かれたら、迷わず今回の記事のようなことを話せる自信がある。