唯一覚えている保育園の思い出
記憶っていうのは、自分の中で強烈に嬉しい事であったり、逆に強烈に嫌な思いをしたことから残ることもあれば、なんで覚えているのかわからないけど覚えていることがあったりする。
学生の頃にテスト直前の詰め込みは中々うまくいかなかったのに、授業中にした先生の雑談は鮮明に覚えていたりする。
覚えていたいと思っている事でも平気で忘れてしまうというのが記憶だが、覚えていなくてもいい事、忘れたいのに忘れられないというのも記憶であり、それらの記憶をふとした瞬間に思い出して恥ずかしくなるというのもなくはないだろう。
ところで、自分の中にある思い出せる限りの一番古い記憶は何か考えたことはあるだろうか。
これは人によって異なり、調べてみたところ2~3歳の頃のふとした瞬間の記憶というのが鮮明に残っているという人が多いみたいだ。
私の一番古い記憶というのは、今回タイトルでつけた保育園の頃の話である。年齢でいうと6歳。年長さんとなり、保育園の卒業間際の記憶である。
私が通っていた保育園は、昼ごはんを皆で食べて、食べ終えた人から広間で遊んでいいという決まりになっており、食べ終わらない人は死ぬまで一生遊べないという、小食な園児にとっては酷な環境であった。
ただ、私は食欲旺盛な園児であったと同時に、親から溺愛されて育ったため嫌いなものがお弁当の中に入るということはまずなかったということから、昼ごはんはいつも一番最初に食べ終わっていた。
お弁当を食べることも好きだったけど、お弁当を食べ終わった後にすぐ遊ぶ事の方がもっと好きであったため、意識をして急いでお弁当を食べていた。
皆より早く食べ終え、一目散に誰もいない広間に一番乗りをして何をして遊ぼうか考えていた時に、ふと園内にある滑り台を見た時にある気持ちがよぎった。
(滑り台の上でちんちんを出したい...)
誰かに見せたいとかではない。ただ私は滑り台の上でちんちんを出したかった。ちんちんを滑り台の上で出すことがかなりウケるんじゃないかと思っていたからだ。
今もたまにちんちんを出したくなる瞬間はあるものの、理性によって心の働きは制御されており、ギリギリの状態で踏みとどまっているため、ちんちんを出すことはしていない。
ただ、この頃の私は6歳の保育園児。理性の「り」の字もなく、やりたいことをただやるだけという本能に従ったまま生きていた。
そうして私は、滑り台の上に登ってズボンをおろしてちんちんを出すことにした。
その時、私の次に食べ終わった園児が広間に来た。
その子は私が滑り台の上でちんちんを出しているのを見て、何を思ったのかはわからないが、同じ滑り台に上がってきて、おもむろにズボンをさげてちんちんを出そうとしていた。
そうして、滑り台の上でちんちんを出している保育園児が増えてしまった。
私は滑り台の上でちんちんを出している友達を見て、笑いが止まらなくなり、何も話すことはなかったが二人でひたすら笑い続けていた。これが幸せというやつであろう。
しかし、幸せというのはそう長く続かないというのが自然の摂理であり、早々に終わりを告げることとなる。
滑り台でちんちんを出して笑っている私たちを見た別の組の先生が担任の先生にチクってしまったのだ。
どういうふうにチクったのかはわからない。
その後すぐに、ちんちんブラザーズは他の園児の前でズボンを脱がされ、パンツの状態で先生にめちゃめちゃ怒られてしまった。
「こんなことして何が楽しいの!!!!!」
楽しいわけがない。だって私はちんちんを出すことに楽しさを見出していただけであって、パンツ一丁の状態で怒られるというのはとても恥ずかしかった。
なんでパンツを脱がして怒ってくれなかったんだろうと今になってもたまに思う。
怒るならば、ちゃんと同じ状態にして怒ってほしかった。そして、他の園児の前でちんちんを出したかった。
というか、パンツの状態にしてまで怒るっていうのは、もしかすると私のパンツを先生が見たかったからなのかもしれない。先生にまで好かれてしまうとは...人気者はつらいね。