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変わらないものと変わりゆくもの。
今日は、初めて大学に行き、科目終了試験を受けてきた。
短大卒の私は、校舎の懐かしい感じに浸りつつ、初めての試験形式に、悪戦苦闘ながらも、どうにかやりとげる事が出来た。あとは、単位が取れることを祈るのみである。
しかし、まだまだ、レポートも試験は続く。
スクーリングは、まだ始まってもいない。
道のりはかなり遠い。
学費もあるから、厳しい節約にも耐えければならない。
道のりは、スピッツのチェリーの数倍険しい(笑)
まぁ、それはさておき、今日私は、対照的なものを目に(耳に)してきた。
その1
場所:某駐車場
場面:彼女を車で送りに来た彼氏が、彼女を
送り出していた
彼女「送ってもらってごめんね」
彼氏「ううん、一緒にいられるだけで幸せだよ」
私:照れる(笑)
その2
場所:とあるトイレの個室
場面:張り紙がはってある
「トイレのゴミ箱には、お弁当の残りを捨てないで下
さい」
私:驚く(悲)
そんな訳で、今日は、他人事ながら、胸がきゅんとときめいたり、きゅうと締め付けられた1日となった。
幸せいっぱいのカップルと、1人トイレの個室でお弁当を食べる人。
幸か不幸か、その私はどちらでもない。
今日私が、その2つの温度差の中で、平然と平熱を保っていたのは確かである。
しかし、トイレの個室でお弁当を食べるのは、やっぱり悲しすぎると思ったのだ。
私なら、どうするだろうか。
私は、観覧車でお弁当を食べたい。(今日行ったところの近くには観覧車はなかったが)
いや、一周で食べきれるのか?
いっそのこと、シンガポールにあるシンガポールフライヤーに乗ってディナーを食べたい。
でも、やっぱり、横浜の観覧車で崎陽軒のお弁当が良い。
いや、あとから乗る人がシュウマイ臭いと困ってしまうかもしれないから、無理そうだ。
が、観覧車でおにぎりは切なすぎる。
と、かなり私の欲望丸出しで脱線してしまったが、時代が変わっても、変わらないもの、簡単に変わるものの中心には、たいていコンパスの芯のようなもの(ひと)があるのかもしれないと、今日私は感じたのだ。
トイレでお弁当だって、それを必要な人がいたから生まれたのだろうから。
どこでもドアみたいに、どこでも個室があるといいのに。
いや、その前にどこでもドアがあるといいのに。