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優しい人となれない私。

1900年から1950年の間、精神障がいのある人を、小屋に閉じ込めていた過去が日本には存在している。

そう遠くない昔の話である。

障害がない私でも、小屋に閉じ込められたら、きっと一週間もしないうちに、気が狂ってしまうだろう。

なぜなら、私は閉所が苦手だからだ。

そして、閉じ込められている現実から、目をそらし、夢の中に閉じ籠るだろう。

でも、それを回りの人は、奇異なものを見るように、まるで立ち止まる事が禁忌なことであるかのように、足早に過ぎ去るのだ。

そして、私は、閉じこめられ、閉じ籠り続けるのである。

あの時、閉じ込められていた方々は、いったいどんな思いだったのだろうか。

そして、家族を閉じ込めざるを得なかった人たちの気持ちは、どんなに後ろめたく、どんなに重い罪悪感をかかえていたのだろう。

私には計り知れない。

先日私が見た映像のなかで、閉じ込めていた家族を知っているという女性は、インタビューに答えながら泣いていた。

その家族は、もう、二度と帰ってこなかったと。
きっと、帰ってきたくても、帰ってこれなかったのだろうと。

彼女は、家族の苦悩を慮り、泣いていたのである。

なんて、優しい人なんだろう。

私は、その人の優しさに、そんな人の涙に、思わず泣きそうになってしまったのだった。

と、これは、先週のスクーリングの時の話である。

そして、今日。

私は、考えていた。

私は、無力で、熱意もないことを。

私は、ただただ、他人に寄り添ったふりをして、自分自身が救われたいと思っている、単なる自己中な人間なのかもしれないと。

うすうす気づいてはいたが、怖くて認めたくなかったし、ましてや人には言えないことだったので、目をそらしていただけだったのだ。
 

だから、手段や方法はさておいて。

今日は、素直に、今の私がやりたいことを書こうと思う。


縁の下の力持ちになりたい。

なにかを考え、表現したい。

知りたいことを学びたい。

以上である。

ちなみに、やらなきゃいけないことは。

わかっております 笑。

でも、かなり現実離れしているが、本当の夢は、海外の景色のきれいな町で、ゲストハウスを営むフレンドリーな旦那さんがいて、私は家事をしてサポートすることだったりする。

しかし、海外住むフレンドリーな旦那さんを見つける難易度の高さが半端ないのだ 笑。

むしろ、私が海外に住んでゲストハウスを作ったほうが早い 笑。  

というわけで、今日は、先日学んだばかりの「私宅監置」の話から、わりと本音の話を書いてみたのだが、途中からワインを飲んだからか、勢いづいてしまった 笑。

でも、海外が無理なら、沖縄がいいなあ 笑。

宮古島がいいです 笑。

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