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帯広農-健大高崎 2020年甲子園交流試合
北海道の秋季大会は、支部予選と全道大会の二段構え。支部予選で2~4連勝し、全道大会で4~5連勝すると甲子園への切符をつかむことができます。
北海道は夏と同じで、秋も一発勝負。1敗すら許されません。一般枠はわずか1枠なので、準優勝でもダメ。無敗で優勝しない限り、一般枠での甲子園出場はありません。
一応建前上は、秋季大会はあくまでもセンバツ出場校を決める「参考材料」にすぎませんので、全道大会を制しても甲子園出場「決定」ではないのですが、事実上決定と書いても差し支えないでしょう。
2019年秋の帯広農は快進撃を見せます。
十勝支部予選で足寄(あしょろ)・芽室(めむろ)・帯広工に3連続コールド勝ちし、全道大会への出場を決めました。全道大会出場というのは、中堅校にとってはひとつの目標であり、ステータスでもあります。
補足しておきますと、足寄は三井浩二(元西武)の母校であり、帯広工は甲子園出場経験があります。
全道大会でも帯広農の勢いは止まりません。
1回戦で5年前(2014年夏)の甲子園出場校・武修館を8-7で破り、2回戦で札幌山の手を7-3で撃破。
さらに準々決勝では甲子園出場経験校であり、全道大会常連の北海道栄に5-0で完封勝ちを収めました。「これは本物だ」の声が一気に広がります。
準決勝で同じく常連校の札幌日大に2-11で敗れたとはいえ、21世紀枠での選出の期待が一気に高まります。
帯広農は、その名の通り農業高校です。
同じ北海道の標茶(しべちゃ)高校に次ぐ、全国2位の敷地面積約110ヘクタール(東京ドーム約23個分)を誇ります。
実家の農家を継ぐために進学する、という生徒が非常に多いです。野球を主目的として同校に進学する生徒は、ほぼ皆無と言えるでしょう。
秋季大会に出場した選手で、中学時代に硬式野球を経験している選手は一人もいません。
自分たちが育てた牛でグラブを作ったり、自分たちが栽培した大豆を使ってきな粉牛乳を作って肉体改造をしたり・・・。
農業高校ならではのアイディアが評価され、21世紀枠で見事に選ばれました!
私は当落線上か、やや苦しいと予想していました。
なぜかというと、21世紀枠は過疎地に優しく都市部に厳しい枠だから。当時帯広市は人口が約16万6千人もおり、これだけで不利に働くのではないかと思ったのです。
しかし杞憂に終わり、嬉しい選出となりました。
一般枠では帯広市のお隣、芽室(めむろ)町にある白樺学園が選出されており、十勝支部から2校出場するのは、史上初めてのことです。
また、夏の甲子園では勝利経験もある十勝支部ですが、意外にもセンバツは出場自体が初めて。最低気温がマイナス30度以下になることもある極寒の十勝支部に、ぽかぽかの春がやって来ました。
白樺学園は神宮大会で国士舘(東京)に勝っており、甲子園でも期待が持てる実力でした。
2019年に放送されたNHKの朝ドラ「なつぞら」のモデルになった帯広農。
また、同校出身の荒川弘が描いた漫画「銀の匙 Silver Spoon」の舞台となった高校でもあります。こちらも2019年に連載が終了したばかりで、ファンの記憶に新しいところ。
余談ですが、ハガレンの愛称で知られる「鋼の錬金術師」を描いたのも荒川弘で、名前はひろしではなく「ひろむ」と読み、女性です。男性と間違われることが非常に多いので、ここで特に書かせていただきました。
センバツは初出場ですが、夏の甲子園には一度出場経験があります。
あの「4アウト事件」で有名な、1982年の夏の甲子園の試合です。2回戦の帯広農-益田(島根)戦の9回表、スコアボードのアウトカウントの表示が誤っており、帯広農が3アウト目を取ったのに2アウト表示のまま。
球審は誤りに気付かず、帯広農は気づいていて指摘しようとしたけれどもタイミングを失い、益田側は気づいてはいたものの「自分たちに有利になるから」と試合を続行しました。
その結果、サードゴロで「4アウト」目が生まれました。ただし、記録上はこのサードゴロは抹消されています。
私も「銀の匙」を最初から読み返して甲子園への期待を膨らませましたが、思わぬ方向から横やりが・・・いや横ウイルスが入ります。
2019年に発生し、翌2020年に大規模な広がりを見せた新型コロナウイルス。
無機質なウイルスは容赦なく、何の罪もない高校球児たちの人生をも変えてしまおうとしていました。
スポーツを始めとするイベントが軒並み延期や中止に追い込まれる中、高野連は2020年3月4日にセンバツを無観客で実施することを発表しており、最後まで開催を模索しました。
しかし当時はまだ新型コロナウイルスの対策や治療法が確立しておらず、手探り状態。とても大会を実施できる状態ではないとの判断で、3月11日には中止が発表されました。
選手を始めとする関係者たちの落胆はいかばかりか。
とても文字にすることはできそうもありません。
プロ野球は開幕延期、開幕していたJリーグは中断。
誰も経験したことのない、未知のウイルスとの闘いは長期戦になろうとしていました。
「過去には戦争で甲子園が中止になったこともある。野球というのは、平和だからできるものなんだ。これを糧にして今後の人生に生かしてほしい」
こんなコメントをSNSなどに投稿する方が多くいらっしゃいましたが、私の考えでは、こんなコメントは球児の心には何も響かないと思います。
SNSを見る限り、最近の高校球児は本当に立派でしっかりした考えを持っています。
「平和な時代だからこそ」なんて、百も千も万も承知のはず。そのうえで、やり場のない思いをどうすべきか、苦悩していたのです。
中止を受け、帯広農の部長と監督は以下のコメントを残しています。
白木繁夫部長
「このような状況のため、選手たちも動転している。何とか開催をと願っていたが、生徒のことを考えると非常に残念」
前田康晴監督
「選手たちに甲子園の土を踏ませたかったが、このような状況なので主催者・高野連の決定を支持する。力を付けて、夏の選手権出場を目標にやっていきたい」
動揺する選手たちの心をかろうじて繋ぎ止めたのは、夏の甲子園出場というただ一つの希望。
しかし当然のように春季大会も中止が決定し、さらに5月20日に夏の甲子園の中止が発表され、最後の希望までもが粉々に粉砕されてしまいました。
翌21日に、前田監督の発案により、今後について話し合う場が設けられました。
3年生18人に聞いたところ、以下の結果となりました。
2人:野球を続けたい
5人:野球をやめたい
11人:どっちでもいい
「やると言うだろう」と思っていた前田監督は、愕然としてしまいました。
さらに話し合いを続け、井村塁主将が以下の意見をまとめました。
「今のままじゃチームはまとまらない。試合に出ても、この状況だとプレーはできない」
繰り返しますが、帯広農は農業高校です。大学や社会人などで野球を続ける選手は少なく、多くの部員は高校卒業後に農業に従事することになります。
夏の甲子園がないのなら野球を続ける意味がないと考えるのも、もっともなことでした。
高校卒業後に野球をしない選手にとってみれば、高校野球を続けないということは、野球選手として引退することを意味します。それはもったいないと思った前田監督は結論を1週間先延ばしにしたうえで、以下の案を出しました。
・代替大会が開催された場合は優勝を目指す(この時点で開催は決まっていませんでした)
・十勝支部予選の会場である帯広の森球場で、同じくセンバツ出場が決まっていた白樺学園と引退試合をする
・札幌ドーム(現・大和ハウス プレミストドーム)を借りて紅白戦を行う
前田監督から猶予期間を与えられ、さらに3つの案を出された選手たち。
もともと「野球を続けたい」という意見を出していた梶祐輔(交流試合では背番号5)と水上流暢(同9)の2人が、井村主将ら選手たちを説得して回りました。
「後輩たちに教えたり、やることがある。いい形で終わりたい」
井村が翻意すると、次々にほかの3年生たちも同調することになりました。部は6月1日から練習を再開します。
そんな選手たちに対し、2つのプレゼントがもたらされました。
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