「人間らしい働き方」にゴールはあるのか?
書籍『ヒューマノクラシー』の章立てに沿って、官僚主義的なエピソードや、本の記載内容の背景などを紹介しています。
第7章 オーナーシップ
「ヒューマノクラシー」に対する違和感
この章を読んで、違和感を覚えた人は多くいるはずです。第3章の最後には、「社会の進化の歴史を通じて、変革への最も強力な論拠となってきたのは、『すべての人は生まれ持った資質を伸ばし、活用し、そこから恩恵を得る最大限のチャンスを持つに値する』という主張であり、また、『その実現を妨げる、人間が作った障害物は不当なものである』という主張だ」と、「ヒューマノクラシー宣言」宣言とも受け止められる記述があります。すべての人が生まれ持った資質から恩恵を受ける機会を得ること、そのためには、それの実現の妨げとなっている官僚主義を止めさせること、これがこの本の目的であったはずです。しかし、「ヒューマノクラシー」が達成された暁には、「会社の余剰利益の使い道を決める権利」を得て、「給与は5倍、あるいは10倍にもな」って、「従業員はボーナスの仕組みに後押しされ、生産性を向上させる新しいやり方を絶え間なく探」すようになり、「平均を超えるリターンが生み出される」に組織になるというのでは、「ヒューマノクラシー」とは、外的動機づけに支えられた、お金を稼ぐためのシステムであるように思えてきます。
ここでいう「オーナーシップ」とは、ほぼ、起業家精神のことを言っており、ビジネスが自分事化すると一生懸命になるだろう、働き方自体も自律的に変化するだろうといった程度の意味に読み取れます。もちろん、本来の「人間性重視」という文脈で、裁量の自由度が増えることで、当事者意識が醸成されて、という箇所もありますが、そのどちらの場合でも、従業員はリターンによって報われるところに帰結しています。
つまり、「すべての人が生まれ持った資質から恩恵を受ける機会を得ること」の目的は、お金を得ることだったのか、という問いが生まれてきます。この本を手に取った人の多くは、「すべての人が生まれ持った資質から恩恵を受ける機会を得ること」が目的だと思ってここまで読み進めてきた人が多いと思います。つまり、お金はその状態から得られる副次的なものであると。
「アンバー」を克服すること
これは正解ではありません。一人ひとりが自分の正解にたどり着くまでのヒントになります。
これが、ケン・ウィルバーやフレデリック・ラルーが提示する組織発達モデルです。『ヒューマノクラシー』の著者、ゲイリー・ハメルが「打倒」を呼び掛けているのは、この中では、「アンバー」に相当すると思います。
組織発達の観点でいうと、上下に接するパースペクティブは、互いに相反するといいます。新しい次元に移ろうとしたとき、古い次元に居座りたい人たちから猛烈な反発に合う、と言ったらその意味が理解できると思います。もう一度言いますが、ゲイリー・ハメルが終わらせたいと思っているのは「アンバー」の世界です。ということは、それを克服するために、相性が悪いとされる隣のパースペクティブの主要な駆動要素を送り込み、内部崩壊を狙っていると考えることもできます。具体的に言うと、オレンジの持つ「お金」という外発的な欲求と、レッドの持つ「競争原理」(ハイアールのマイクロエンタープライズなど)という自由裁量性です。もしそうであるならば、移行期に一時的に外発的動機付けを利用することは理にかなっていると思います。
ただ、ゲイリー・ハメルの目指す世界と、フレデリック・ラルーの目指す世界は同じではないという認識をもつ必要はあると思います。その上で、「では、自分の目指している世界は何なのか」という問いを常に持つことは大切だと思います。仮にそれが「お金」というならば、それはそれで、まったく否定されることではありません。