「共感資本社会」について
本文は、2020年3月、当時通っていたEMS(エッシェンシャル・マネジメントスクール)にeumo代表新井和宏氏が登壇した際のリフレクション(レポート)を加工し、体裁を整えたものです。
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eumoの提唱する「共感資本社会」という考え方が、きっとここ2~3年という短期間のうちに、現在の「お金」を中心とした資本主義と共存し得るものなのか、多くの人にとっての「問い」になるであろうことは、ほぼ間違いないと思っています。
そう思う理由は2つあります。一つは、おそらく、その浸透のスピードです。「共感」という概念の、そもそも本質を突いたところ、そしてそれが持つ「尖り」が社会への影響度を多分に持つ感度の高い人たちに受け入れられている実態があります。また、旧来の「お金」に対する態度、扱い方、考え方、そこから生じる結果に疑義を呈しているものの、価値の媒体としての「お金」の存在自体を否定しているわけではないことはプラスに働きます。既成との対立構造が生じにくいことは加速を阻害する要因が少ないことを意味します。
もう一つは、概念そのものがネットワーク化しやすいことです。私は新井さんと直接面識はありませんが、新井さんと一緒に活動しているメンバーを通して、eumoに若くて優秀なコンサルタントを何名か紹介しています。私はeumoの理念に共感していますが、自分の仕事が忙しくて直接的にかかわることができません。その代わりに同士を募って直接かかわれる人を紹介しているのです。「共感」が媒体としての機能を持っているからこそできる技です。それはネットワークが下に広がりやすいことを示しています。
ではなぜ、「共感」は多くの人にとって気になるもので、かつ、ネットワーク化しやすいのでしょうか。私は、概念が持つ構造にその理由があると思っています。日本文化や仏教哲学によく登場する言葉ですが、「中空構造」という概念があります。「共感」という概念自体、中心に核となる具体性がないという意味で中空構造であると言えます。よって、日本人の使う言語、文化、生活様式と非常に相性が良いという理由で、広がりが早いと考えるのです。
社会に受け入れられやすい反面、企業活動とは相性が良くない可能性があると思っています。例えば「企業理念」との関係性が考えられます。「企業理念は」社会正義が前提にあることがほとんどですが、中にはその実現といっても、非常にまれな例かもしれませんが、企業のエゴに終わっている可能性のものも存在します。「わが社は○○な社会の実現を目指します」と言っても、周りの消費者や関係者が「共感」しなければ自己満足で終わります。もう一段突っ込んで言うと、「理念」とは一種、企業にとっての「関心」です。個別の「関心」は、必ずしも「共感」を生むものばかりではないはずです。「理念」が受け入れられるかどうかというのは、「共感」が「理念」のメタ概念である以上、入れ子の関係になって、必ずしも好相性にはならないのです。
「共感資本社会」が社会にどの程度まで浸透するかを考えたとき、一つ気になっていることがあります。それは先ほど述べた「中空」に部分に意味が入ってきたときのことを想像しています。ある人が、「私も共感した」と言って、また別の人も、「私も共感した」といった時、その二人が同じポイントで共感しているわけではない可能性が高いということです。この現象を表すのに、構造の中に意味が入ってきたという表現を使いました。入ってきたものとは「個別の関心」です。ゆえに、表面的な「共感」は、信念対立の温床となる可能性が高いのです。
その一方で、論理、時系列、因果関係、言語に依存しない「共感」は、先ほどの「スピード」と「ネットワーク化」にも関わってきます。つまり、「共感」は「直観」や「感応」といった瞬時のプロセスなのです。と同時に、この因果関係に依存しない「共感の広がり」という複雑系プロセスは、1+1=2という線形のプロセスではなく、べき乗のスピードで広がる性質を有していると考えています。