異人file1.Sean Sumlin(海外起業家、カメラマン)
Sean Sumlin(ショーン・サムリン)
岩手県滝沢市出身
高校卒業後、盛岡市の飲食店へ就職。コミュケーション能力を活かした接客スタイルで一気に繁盛店へ。20歳の時に父親の出身であるアメリカ合衆国へ移住を決意。日本での経験を活かしロサンゼルスの日本料理店へ就職し後に年商8億円を超える飲食店へと押し上げる。現在は写真/映像制作会社"Intelligent Gorilla"やファッションブランド"MASHELEO"を運営する他、飲食店コンサル・ライフコーチングなどで活動の幅を広げる。2021年には自身初のビジネス本を出版、2021年冬にはLAにカフェをオープン予定。
↓オフィシャルサイト
Sean Sumlin人生を変える男! ショーン サムリン
今回、記事に協力してくれたのはSean Sumulin。(以下ショーン)
彼を"岩手異人伝"の記事第一号に選ばせてもらった。
僕は彼から巨大なエネルギーを受け取り、行動をするための背中を押してもらった。
ぜひ取材記事から読み取っていただき分かちあいたい。
【どんな人物か】
ショーンは高校で出会った同級生である。
盛岡工業高校 電子科の名簿を見て"高橋 ショーン" …ハーフか。
一体どんなインパクトをくれるのかと入学前からワクワクしていた。
ゴリゴリマッチョの黒人、悠長な英語を話すベッカム系白人。入学前日、イメージは大きく膨らんでいた。
彼はバリバリ日本語を話していた。達人だった。達人というか耳にタコができるくらい喋る。
ショーンが喋りだすと担任の先生からは
「ショォーン …(溜息) もういい。」
このやりとりが恒例であった。
当時の担任には卒業から15年たった僕からこう伝えたい。
「彼をコントロールするのは不可能だ。だまって耳栓つけてきた方がいい。」
当時からフレンドリーな笑顔と教室の窓が揺れんばかりの大声と"好きなこと"に対する情熱をもっていた。
部活はテニス。白人と黄色人のハーフとは思えないほど肌を真っ黒にして朝から晩まで部活に打ち込んでいた。
どこから湧いてくるのか、エネルギーを昼間から持て余しているようだった。
実は授業で彼が寝ているのを見たことがない。自分が寝て起きてもまだ喋っている。無限に喋る。絶対に明石家さんまよりも喋る。
なぜかテストの点はいつも良くなかったのを覚えている。ただ英語のヒアリングだけは異常に優秀だったのも覚えている。
20代の頃、彼が住むLAには2度遊びに行ったが、目にする全てが刺激的なものでいずれもかけがえのない最高の時間だった。
一度目は20代前半、彼はタップダンスに夢中だった。当時は金もなく、安アパートにボロ車。
寿司屋で働き、会いた時間にタップダンス。プロのパフォーマーを目指し足がもげる程の努力をした。本当に足がもげる怪我を負い、その道は諦めたがLAのプロパフォーマーを来日させる等、当時から行動力は抜群だった。
二度目は20代後半、家が高級マンションに変わり車がレクサスに変わっていた。年収も驚くほど上がっていた。自分がサラリーマンでのほほんをしていた頃、彼は自分の幸せに向け努力を続け修羅場をくぐり、実績を積み上げていった。
そして彼が来日した時には、人生に対し熱量で悩んでいた僕にこれ以上ないポジティブな言葉をかけて背中を押してくれた。
後に彼のYouTubeを見て知ったことだが、彼は中学時代にいじめを受けていたそうだ。
高校当時をいくら思い出しても彼がいじめられっ子だった印象は一つも無い。
過去を引きづらず"今"の自分に向き合った結果が、皆に与えた「常に明るいショーン」の印象だったのだ。
影響力を持っている人に共通すること
それは勉強家であり、前に進む志を非常に強く持っている。
僕がサラリーマン時代に彼からかけられた言葉を紹介したい。
「このまま好きなことを無視して働いていていいのか?人生あっという間に終わるぞ。愚痴ばっか言ってんじゃねー、全部お前が選択してきたことだろ。人生今すぐからでも変えられるぞ」
ポジティブな言葉は僕の心の中のモヤモヤを一気に吹き飛ばしてくれた。
底抜けに明るいやつ、それがショーンサムリン。
六本木のリッツカールトンホテルの前で鳩が羽ばたくほどの大声で朝の通勤客に挨拶をする男。
それがショーンサムリン。
間違いなく僕の人生のメンターであり、最高の友人の一人だ。