兎の香合
兎の香合の夢を見た。
いや、現実かもしれない。
今年は卯年なので、歳を祝う意味でも兎に関するものを床に飾ったり、茶会で道具組みに入れたり、考えつづけてはや五月。
卯月(四月)もすぎてしまった今、ああ、そう言えば兎の香合があるじゃないか、とそう気づいて目が覚めた。
卯月は、ウツギから来ているとも言われているそうだ。卯の花のことで、今年も庭の卯の花には何度となく茶花として登場頂いた。
秀吉の吉野の花見にも同行した飛鳥井雅庸は、卯の花と題して、このように詠んでいる。
いどむともたたれんとてや夏に今
さくらは散りてさける卯の花
白くやわらかく美しいさまを、桜と競おうといどむのだが、いつも季節が邪魔して一緒に咲き競いあえないという悔しさを詠んだのだろうか。まさに秀吉と見た桜のあとに、少し遅れて負けん気出して咲いた卯の花を詠んだのかもしれない。
くだんの香合は光悦の兎香合のような樂や軟陶のものではなく、磁器に藍絵付けされた可愛らしいものだった。思いを巡らしても手元にはなく、やはり夢の中での出来事だったようだ。
月に兎の話もあるし、また秋にも出会いたくなる特別な存在。その頃にはくだんの兎香合が手元にちょこんとたたずんでいるやもしれぬ。