結婚が遅れた理由

 イーズカは高校生の頃、マルクス主義と出会った。そして「プロレタリアート」という言葉を知った。

 ウィキペディアによれば『古代ローマ時代には帝国の広大な属州から搾取した莫大な富がローマに集積し、ローマ市民は労働から解放されていた。次第にパンとサーカスに没頭して働くことを放棄した者(多くは土地を所有しない)も増えていった。このような市民は住民統計ケンスス(ラテン語: cēnsus:センサス→国勢調査)で、自分の子供以外に富を生み出す財産を持っていなかった階層としてラテン語でprōlētāriusと呼ばれた。』と、その語源が説明されている。

 「子供を産むこと以外に、社会に貢献できない者」という表現に引っかかった。
 「馬鹿野郎、オレはそんな一般人とは違う」という自負心があった。

 母は、「子供を作り、育てることは素晴らしいことだ」と言っていた。イーズカのような子供を育てることになってしまった人が言うのだから、「そんなモノかなあ」とは思っていた。
 ただ母の姿を見るたびに、その苦労の原因が自分であるだけに、「親と言うのは、割に合わない商売だ」とも思っていた。

 それ以上に、出逢うオンナが「魅力的だが、ひと癖もふた癖もある人物」ばかりであった。
 高級クラブのはるみママには「イーズカちゃん、普通のOLなんかには興味が無いんでしょう」と言われ、「その通り、しかし向こうは、もっと興味が無いと思う」と答えていた。

 イーズカは「サラリーマンは、現代の無産階級だ」と思っていたので、「早く自立してタレント業でもやるしかない」という生き方を目指していた。その結果、経済の安定とは縁遠くなる。
 自らの選択なので責任転嫁ができない。

 色々と言い訳して来たが、経済的に安定しなかったという下部構造の問題が大きい。
 ビンボー人が結婚するとどうなるか、という悲惨な現実は多数見ている。

 自信と自負心はあるのだが、稼ぎがついてこない人生を約40年間生きて来た。そして出会った「マンション管理人」という仕事で、子育てのオモシロさに出逢ってしまった。

 本気で「結婚しよう」と考えたのが40歳、「子供を作ろう」と思ったのが60歳、という「晩婚化現象の最先端」を走っている。

 幸いカラダを異常に鍛えているので、女性の年齢さえ下げれば可能である。80歳までなら体調は維持できると思う。その先は良く分からない。
 ZUMBAインストラクターの話によれば、特殊部隊出身の老人は80歳を過ぎても元気らしい。

 もう「特殊人」として人生を全うするしかない。

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