浦島太郎の原典
朝から、岩波書店の『日本の昔ばなし(Ⅲ) 一寸法師・さるかに合戦・浦島太郎』を読んでいる。関敬吾編で、伝承されていた地域名が記されるなど、興味深い内容に満ちている。
「浦島太郎」は香川県仲多度郡のモノとして紹介されていた。前半部は知ったモノだが、エンディングが違っていた。
「乙姫さまにいとまごいをすると、三重ねの玉手箱をくれました。そして「途方にくれたときにこの箱をあけるがよい」と、教えてくれました。」
とある。そして、
「思案にくれて、箱の蓋をあけて見ると、最初の箱には鶴の羽が入っていました。もう一つの箱をあけて見ると、中から白い煙があがりました。その煙で浦島は爺になってしまいました。三ばん目の箱の蓋をあけて見ると鏡が入っていました。その鏡で顔を見ると、爺さまになっていました。
ふしぎなことだと思って見ていると、さっきの鶴の羽が背中についてしまいました。そこで飛び上がってお母の墓のまわりを飛んでいると、乙姫さまが亀になって浦島を見に来て、浜へはい上がっていました。
鶴と亀とは舞をまうという伊勢音頭は、それから出来たものだそうである。」
という結末になっていた。
面白いが、なんかキレイな話にまとまり過ぎている気がする。「開けてはいけませんよ」と渡される玉手箱の話の方が、王道のように思われる。
『鶴の恩返し』でも、つうは、よひょうに向かって「織っている姿を見てはいけませんよ」と言い残して部屋に閉じこもっている。
「開けてはいけませんよ」と言われると、人間は必ず「開けてしまう」。これが人間の「性」である。
玉手箱とは何か、と調べてみたら、もともとは化粧道具を入れるためのもので「玉櫛笥(たまくしげ)」が玉手箱となったという。貴族の女性はその中に贈り物などを入れて、使いの者を走らせて贈答することもあったらしい。
「絶対に開けてはいけない玉手箱を開ける」ことは、乙姫との愛を裏切り、地上の娘と結婚しようとした時の復讐の手段であったとの解釈もあるようだ。
イーズカも、浦島太郎と乙姫はゼッタイに肉体関係があったと思う。ただ、竜宮城での「その行為」が何を意味するか、は良く分からない。
乙姫は「年老いた母の様子が見たい」という浦島の望みを聞いて、短期間の帰郷を許したが、そのまま地上で結婚して子作りしようとした浦島太郎に「怒りの鉄槌」を下す。
よくありそうな「男女の性愛」にまつわる教訓譚でもある。
イーズカの婚活に対しても、オトコ連中は「さっさと押し倒してしまえ」という声が多かった。
しかし40年にも渡る「返品の歴史」を持つ身としては、「一発やった」程度で、それほど安定した関係になる訳ではない、と思っている。
逆に「やってしまう」と、安定した関係になるか、逆鱗に触れて叩き出されるか、二者択一のギャンブル領域に踏み込むことにもなる。
「押し倒す」ことなど、いつでもできる。その後が、重要問題である。「何を喜び」として、「何をしてはイケナイ」のか、ふたりで暮らすための「価値観」の構築が求められる。
まあ「一緒に居て、楽しい」ことが大前提となる。イーズカなど、毎晩説教されて暮らしたこともあるのだ。あの地獄は勘弁してもらいたい。
そんなこんなで、想像力に火がついた。盗難自転車の発見もあって、今年は追い風が吹いている。
昔ばなしを題材にするだけで、100本くらいは小説が書けそうな気がする。それを可能にするのは、人生経験の豊富さである。
やはり、はっぴいえんどが歌ったように、「何を持ってるか、ではなく、何を欲しがってるかだぜ」となる。