今年は「小説」を書く
先日、すこし口走ったが、今年は小説を書こうと思っている。作家ではなく、「作文家」を目指している。
デンツーに居た頃、飲み仲間と「作文団」を始めた。「ただ、飲んでいるだけではツマラナイから、全員で作文家を目指そう。作品を書かないヤツは、飲み会への参加も許さない。」というイーズカ独裁政権下の「趣味のサークル」であった。
イーズカは昔から「仕事とは違うのだから、遊びは真剣にやらないと無意味だ」と思っている。
仕事は「如何に手抜きするか」が勝負を決するが、遊びでそれをやったら、「遊び」にならない。
「遊び」には真剣さと体力が求められる。体力が無いヤツには、所詮は何もできない。どんな遊びも、一定期間の「作業」が必要になる。作業への集中力には、体力が欠かせない。
そんな頃から、もう30年が経ってしまった。ず~と書き続けているのは、イーズカひとりである。
ブログなどと呼ばれていた時代を経て、ネット上に発表できるようになったので、もう30年も書き続けている。
友人相手に書いているので、好き放題に書けるし、いろいろな試行錯誤や実験が出来た。
半分以上は「イーズカの日記」のようなモノだが、政治的な主張や、論文的な発表や、文芸批評も書いている。
「言いたいこと」が大量にあるので、ネタ切れとは無縁である。特に「ニッポン的なるもの」は、徹底的にこき下ろして来た。
イーズカは、組織や管理とは相性が悪い。若い頃から態度がデカいので、すぐに衝突する。こちらから愛想をつかす場合と、追い出される場合と2種類あるが、組織に安住できた試しがない。
もう就職する気など無いし、雇ってくれる会社など皆無である。タレント稼業で生きるしかない。
40年を超える社会人人生で、さまざまな「処世術」を身に付けてきた。
イーズカには「争いごと」が付きもので、最近は「争いをカネにする術」を身に付けた。不法行為を働く愚か者が多いので、争いが無くなることは無い。
しかし、これらは「食つなぐための方便」でしかない。イーズカは「作文」で食っていく。
まず書こうとしているのは、『結婚できない浦島太郎』である。イーズカの半世紀であり、現在の婚活報告と将来展望を書くことになる。
昨日、図書館で岩波書店の「浦島太郎」を借り出した。原典をもう一度確認する。
有名な話すぎて、細部を良く覚えていない。各地の説話を集めた側面があるので、確定版というモノが無い。
太宰治の『御伽草子』に入っている「かちかち山」が好きだった。
あれも一種の恋愛譚で、美しくて性格の悪いウサギ(オンナ)に惚れたタヌキが、最後は騙されて泥船に乗せられて、背中に火をつけられて湖に沈んでいく。その最後の瞬間に、タヌキは「惚れたが、悪いか?」と呪いの言葉を叫ぶ。
凄絶な物語である。
イーズカは、「遊び人・浦島太郎」が現実世界に戻されて、白髪の老人として寒村に居るが、居場所が無くて竜宮城に戻り、乙姫さまや、タイやヒラメと繰り広げる「痴情のもつれ」を書きたいと思っている。
人間の本能はあまりにエゲツ無くて、その現実展開の恋愛は滑稽ながら、「必死な生のエネルギー」に満ちている。
ある種の『人間賛歌』になると思う。