銭湯バンザイ
昨日から、ついにゴールドジムが臨時休業に入ってしまった。
そこで今夕は近所の銭湯「松本湯」に行った。徒歩3分だが、ゴールドジムの温泉風呂に入っているので、一度も行ったことがなかった。良い銭湯だという噂は聞いていた。
まあ素晴らしい。ホントに良くできた銭湯で、ジェットバスも多彩だし、温泉ランドの設備に比べてもそん色ない。外出自粛要請の影響か、空いていた。
ゴールドジムが休業の間、こちらに来ようと決心した。遥かに快適である。エスパのさと子さんが銭湯マニアなので絶賛していた。地元には駅前に、屋外プールと露天風呂が併設されている銭湯もあり、東京における銭湯のメッカであった。
自宅の風呂に入る気はない。狭くてジャグジーもないし、なんの快感も無い。汗を流すことしかできない。
現在の自粛強要社会では、自ら快感を探すしかない。風呂は快感である。静岡の実家近くにも「子生まれ温泉」というのがあって必ず行っていた。実家は自分で設計したので巨大な浴槽にしてあったが、快感とは言えない。全面タイル貼りにしたので、冬などは寒かった。
映画『テルマエ・ロマエ』には痛く感心した。イタリアに行ったとき、カラカラ浴場遺跡に感動した。しかし古代ローマ帝国に感染症が流行った時に閉鎖されたらしい。巨大過ぎたのだろう。
湯上り後には肌の手入れが欠かせない。乾燥を防がないと、指先が荒れる。色々な事情により、エルメスやシャネルのモイスチャー・ミルクが大量にある。匂いが余分だが、女性の肌を潤すので、男性の肌も滑らかにしてくれる。
肌が荒れたままでの健康など意味がない。格闘技のマニアでもあるので、肌の手入れは怠ったことがない。拳はパンチにも大事だが、指先は愛撫に重要である。キーボードを倍速で叩いているので指先が荒れやすい。
「オマエにそんな場面があるのか?」と問われれば、今は無い。これから必要になるのである。日々是、決戦。日々是、プレゼンである。
人生は、いつ、どこで、なにが必要になるのか分からない。危機管理の観点からも、ありとあらゆる場面を想定して、おさおさ準備を怠るな、が鉄則である。
「ああ、あれをやっておけば良かった」という後悔は人生を貧しいものにしてしまう。平時には要らないモノが、ある特定の場面では必須要件になる。人生に於いて無駄な事など無く、無駄に思える準備こそが、豊穣の時を招き寄せる。
その結果、何が起こったかと言えば、悦楽の極致の次に訪れる反省の日々であったことも否定はできない。
しかし、2002年の日韓ワールドカップサッカーの時、大分のイタリアvsメキシコ戦で奇跡を観た。
同じような攻撃を何度となく繰り返し、ある瞬間に何故かは分からないが、ボールがゴールネットを揺らす。
それが4回目なのか、100回目なのかは分からない。たぶん100回目だとゲームオーバーを迎えてしまう。
その奇跡の原因が、何に起因するものかは、誰も分からない。
と、いうような妄想に駆られながら赤ワインに酔っている。酔いが醒めない方がイイような気もする。