オリンピックと戦い
2日の月曜も暑さに疲れて寝てしまった。ヒマつぶしに見た五輪競技がツマラナカッタからである。
競技はまだしも表彰式がサイテーである。五輪憲章は元々は「個人の戦いであり、個人の名誉をたたえる」ので国家の前面化を禁止していた。
しかしテレビなどマスコミの「絵になる映像」の要請があり、いつの間にか定着してしまった。
国旗を掲揚し国歌を流すシーンを止めない限り、オリンピックなど「スポーツに拠る代理戦争」で安直なナショナリズムを煽り続ける。
しかし多くの人々は「戦いと感動」が好きである。どの国にも暗澹たる差別主義がはびこっている。
深夜に目覚めたら、NHKが「映像の世紀 大量殺りく兵器の登場」を放映していた。
第1次と第2次世界大戦で、戦争は総力戦となり未曽有の殺戮戦が繰り広げられた。
世界中が「戦争などやるものではない」と思い知ったが、どっこい戦争は無くならない。
戦争は当事者にならなければ、戦時物資の提供が可能であり企業は儲かる。完膚なきまでに敗戦し無条件降伏したニッポンも朝鮮戦争の特需で復興している。
経済が立ち行かなくなると戦争が起こる。企業などの経済界が求めている側面がある。ナチスにも大日本帝国陸軍にも経済界の共犯があった。
現在の日本の経済界など、もはや世界市場では戦えない。非正規労働の推進などで、国内からむしり取っているだけだ。
世界が同時に直面した「新型コロナウイルス」に対して自公政権は失政に失政を積み重ねている。なのにオリパラを強行し、コロナ対策は無策である。
国立競技場の弁当大量廃棄に見るように、イベント遂行能力すら無い。有観客か無観客かで揺れる中、なんの対処も出来ずボランティアにも無指示で放置した。その結果のひとつが弁当廃棄で、その横では飲食店が休業を余儀なくされ、廃業の危機に晒されている。
デンツーOBのお気楽な言動など噴飯モノでしかない。「無駄な横やりが入らなければ」などと嘆いているが、横やりなども止められない程にデンツーは弱体化している。国家プロジェクトを仕切る能力など残っていない。
テレビは「メダルラッシュ」に沸いている放送だが、マトモな選手が出場しているのか。スポーツ界全般には詳しくないが、少なくともテニス辺りは有力選手の半数は出場していない。
サッカー・テニス・ゴルフあたりはオリンピックなど小馬鹿にしている。
こんな日本の惨状を見ていると、「これでは小説ネタにもならない」と思ってしまう。
ホラー・サスペンスどころか、吉本興業のお笑いネタにもならない。
テレビは既に終わっている。広告業界は大量の人員整理が避けられないだろう。