厄介な作業に取り組むと、部屋がキレイになる
少し出口に差し掛かっているが、小説で苦労している。リズム感ある文章を書きたいのに、静止画を写し取ったような文章になっている。
それでも昨夜は書き直しが進み、ほぼ全編の手直しを終えた。ただこれは第一段階で、あと2から3回はやらなくてはならない。
昨夜、奥田英朗の『最悪』を図書館に予約して、昼前には借り出した。久しぶりに読んでみたら流石であった。
記憶を遠くから見るのではなく、現場に降りて行って参加しないと、動的な文章にならない。
ただ、そこまで分かっても、書いてみないとどうなるか分からない。だから昼間の内は、掃除に走る。
今日は集合コンセントに差し込む順番を変えて、合理的に組み直していたら、綿ボコリを全て吸い取らざるを得なくなった。
何故か、カーテンまで取り換えて、洗ってもキレイにならないカーテンを捨てた。
「もう、取り組んでも大丈夫」と思えるまで、延々と掃除に逃げている。ベッドのカバーは全て洗ったし、冬物から春物への交換も済んだ。
年末の大掃除よりも徹底した、「年度末の大掃除」になっている。
部屋がキレイになり過ぎて、「落ち着かない」という副作用も出ている。
整理整頓は大事だが、キレイ過ぎると、快適な住環境とは言い難い。