秋の「好き日」

 今日は絶好の秋日和、外に出掛けたくなる一日でした。

 午前中は危機管理学会の研究発表をZOOMで行った。会議参加は何度もしていたが、自分のパワポで発表するのは初めてだったので、少しまごついた。
 まあ慣れれば何という事も無いが、手順などがやってみないと分からない。前の発表者は東大の研究者で「AIによる危機管理」のようなテーマで、難しい。

 2番手がイーズカで、「新時代の危機管理」である。従来の危機管理など役に立たず、業務の在り方、会社の在り方を変えないと、企業も個人も生き残れない、という話である。
 特に危機管理予算を日常化しないと無意味だ、と訴えた。「起こるかどうか分からないことを予算化するのは、どんな企業でも難しい」。それを通すためには、それが利益を生むことに結び付けなくてはならない。
 要は「常に儲かる体質にして、危機に備える」発想である。キチンと儲かっていれば、事前の危機管理などまったく必要ない。事後にカネを払えば何でも解決できる。
 そんな筋肉質の企業体質にする必要がある。

 イーズカの危機管理は常に「起こってしまった危機」にどう対処するかに貫かれている。現場で血まみれになり、人が死んでいく状況にどう行動すべきか、が全てである。自分自身が自らの危機管理に失敗して、何度も危機の谷底に沈んでいるので、リアルな実践論だ。

 これは前発表者の「AIによるシステムをどう組むか」という内容と正反対である。彼らは東大に居て、大企業と共同研究を組んでいる。そのシステムは行政機関に納品されるだろう。予算など無限に付けられる。

 イーズカは民間発想なので、そんな無駄金を払う企業などあるのか? 無駄なコトにカネを払える企業が今の日本に何社あるのか? と問い詰める。

 デンツーを例に出して、もはやデンツーはバカとクズしか社員として残らなくても存続する方針を立てた。
 国家の救済事業にぶら下がり、法外な手数料を取る。全国民を敵に回しても平気である。これを「パソナ化」という。

 しかしどんな危機管理策を立てても、危機はやって来る。会社が崩壊し、人が死んでいく。そんな時にコンピュータもAIも役に立たない。

 コンピュータは過去の統計データから、多数派が取りそうなパターンを計算する。それが意味無いのが「危機」である。過去には起きなかった想定外こそが、危機的状況だ。

 東大研究者に「オマエのやっている事など、無意味だ」と死刑宣告する内容となった。
 もうひとり東大の女性研究者がウルサク口出ししていたが、イーズカの発表のあと無言となった。

 研究という論理ゲームとしては面白い。しかし、現実には何の効果も無い。学者の研究テーマなど、所詮はそんなモノである。彼らは現実の危機に対処したことなど無い。
 「机上の空論」とは、このような事である。
 イーズカは軍事予算の研究の方がオモシロイ。現政権の手先になる気は無いが、軍事戦略はリアリズムの極致であり、実践的な有効性が問われる。「どうやって戦いに勝つか? 」が全てだ。

 イーズカは学者という存在が必要なことは認める。ああいう世間から遊離した次元でしか考えられない事も意味がある。
 しかし大企業と政府機関しか相手にしない案件は、人間の役に立たない。むしろ管理・監督社会を強化するだけである。

 イーズカは常に「世間を敵に回して」いる。たぶん大ヒンシュクだったと思う。

でも、目がチラつくような複雑なチャート図なんぞ、まったく意味がない。これは断言できる。


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