パリ在住30数年の竹本氏、逝く
昨夜は曙橋のある店で、異色の傑物・竹本氏を偲ぶ会に参加した。
竹本氏はフランス語とアラビア語の達人で、フラメンコや金管楽器やファド、乗馬などの多彩な趣味をもっていた。イーズカは大学の先輩がフランス語の通訳をしており、彼経由で竹本氏と知り合った。
もう10年ほど前に、万来社のパーティに突然参加してくれた。当時から仙人のような風貌で、話す内容も多彩、常識論などとはまったく無縁の人だった。オールナイトで語り尽くし、朝方に少し寝て、また旅立って行った。
その後、肺の移植手術を受けた話は聞いていた。その病身をおして昨年10月に来日した。曙橋の店で集まった。
もう、かなり弱っていた。しかし語り、歌い、訴える姿勢は衰えていなかった。
もう彼自身は踊れないというので、スペイン人・ゴンサロのギターと竹本氏のアラビア語の歌に合わせて、イーズカが即興ダンスを踊った。
フランス語関係者が多かったが、参加者し多彩で刺激的な集まりだった。竹本氏が語る帝国主義の話に惹かれた。
昨夜はフランス・パリでの葬儀時間に合わせて、17時30分から始めた。
思い出話が尽きることはなく、誰の口からも「賞賛と、驚愕の逸話」が同時に語られた。日本の大企業の社長などにもファンが居たが、竹本氏の元にマネージメントできる人材が居なかったために数々のオモシロイ話が実現しなかったようだ。
ただ、彼の功績の中で、フランスに日本のマンガを知らしめた事実はスゴイ。現在、日本のマンガは世界中にファンが広まっているが、その多くは竹本氏に負う部分が大きい。
クール・ジャパンの先駆的な伝道師だった。
彼の異常なまでの熱意と、常識はずれの「語るチカラ」が無かったら、あんな凄まじい伝搬と普及はあり得なかった。
パリにこちらの画像をリアルタイムで送りながら、竹本氏の人生を偲んだ。
享年67歳、あまりにも若い。