「戦う姿勢」

 イーズカは日々が戦いの毎日であり、どんな事にも「納得できない事は、ゼッタイに許さない」という姿勢を堅持しているので、大多数から見れば「例外的な少数派」であることは自覚している。

 しかしアベ・スガと続く自民党政権の悪政を見ていると、二ホン人は「どうして、こんな最低最悪の奴らに権力を任せているのか?」と呆れ返っている。
 特にスガは酷く、国会で追及されても「それは言い過ぎではないか、ワタシも一生懸命に頑張っています」などと答えている。
 「オマエは小学校の学級委員長か?」と言うしかないほどの惨状である。

 前にも書いたが、「スガは自分の言葉を持っていない」。官僚作文の読み上げすらマトモにできない。
 「それは違います」「それらは批判には当たりません」「その件に関しては、答えを控えさせていただきます」などの単純否定は得意だが、「○○だから、バツバツだ」というような論理展開が皆無である。
 小学生が「おまえの母ちゃん、デベソ」と罵り合っているのと、同レベルの言語能力しかない。
 スガ政権の閣僚全員も似たようなモノである。

 野党も言っていることは正しいが、なにせ議席数が圧倒的に足りないので、それ以上の追及ができずに居直られてしまう。
 これは選挙制度を自民党に都合よく利用されている問題もあるが、野党が国民運動を背景にしていないからである。

 石炭から石油へのエネルギー政策の転換時、三井三池の炭鉱での労働争議が起きている。
 「全資本vs全労働」と言われたように、労働側はみずからの命を賭けて資本家と戦っていた。資本側は暴力団を雇い、ストライキに日本刀で襲撃をかけ、労働側は足場の鉄パイプで応戦していた。
 その「和解の産物」が36協定である。労働側は「石油への転換を認める代わりに、労働者の権利」を認めさせた。
 その結果、労働者の雇用は守られ、残業時間など厳しく制限されている。これは炭鉱労働者の「血と汗と涙の結晶」である。

 それを骨抜きにしたのが、「派遣労働の容認」だ。竹中平蔵率いるパソナなど、正社員を騙して非正規に追い込む指南役まで務め、そこから莫大な利益を上げている。
 その先鞭をつけたのがリクルートだが、労働組合も野党も何ら有効な反撃ができていない。
 リクルートは「リクルート・コスモス株」の優先譲渡で自民党に取り入り、それが政界スキャンダルとなり江副などが国会喚問を受けている。

 パソナなどは政界ベッタリで、竹中は政府の諮問会議委員まで務めている。
 これほどまでに「露骨な癒着」がまかり通っている。野党も組合も国民運動の組織化などまったくできていない。

 国会内部の議席数の攻防戦で勝てる訳がない。国会の外に「大国民運動」を組織しなくては反対勢力にすらなれない。

 労働組合も電力労連に配慮して「原発反対」すら言えない。組合が常時対決しているのは、会社の経営者である。カネを握っている相手に、正論だけ語っても何も変わらない。
 労組発足前の、「次は、どの資本家を暗殺するか」という時代の精神を思い起こす必要がある。
 経営者に対して「あまりフザケタ事を言ってると、リンチにかけて海に沈めるぞ」くらいの脅しをかけていないと交渉など成立しない。

 イタリアではコロナ対策への不満から、ゼネラル・ストライキに入ろうとしている。権力者への対抗の第一歩は「ストライキ」である。これが打てなければ、経営者など鼻先で笑っている。
 こんな事も出来ずに、国民全員が自粛要請なんぞに従っているのがニッポンである。

 ニホン人は、昔から従順だった訳ではない。江戸時代の農民一揆など、暴力で代官所を脅した上に、交渉の席で代官を論破して要求を認めさせて来た。
 明治維新から太平洋戦争への道のりは、歴史の巻き戻しでしかない。

 現在のニッポンは、北朝鮮よりもヒドイ「奴隷国家」である。アチラは暴力で脅され秘密警察に監視されているので仕方ないが、二ホンは「奴隷みずからが、相互にクビを縛り合っている」悲惨な状況にある。
 政権はアメリカ合衆国の植民地なので、国富と国民を売り飛ばす政策の遂行に熱心だ。

 国会の外に国民運動を組織するか、国会そのものを閉鎖して臨時政府を打ち立てるくらいしか方策は無い。

 現在の野党にそんなビジョンと気迫があるだろうか。到底、そんな気概があるとは思えない。「戦う姿勢」がどこにも無い。

 だから国会でも、負け続けている。


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