老人追放

 イーズカは昔からヤル気と能力のない老人がキライである。実績があり提案能力のある人は老若関係なく評価する。
 だから自慢話しかしない老人を小馬鹿にしている。言葉にチカラが無い。
 飲んでいても「俺も昔は学生運動なんかやっていてさ~」などという団塊オヤジが大キライだった。「オマエらなど、しょせんは付和雷同分子に過ぎない。自分で何かを作り出したことがあるのか?」とコキオロシテいた。
 こんな団塊オヤジは、血反吐を吐きながら生きたことなどない。人数が多かったので、やがて髪の毛を切って企業に就職し、サラリーマンになっていった。フォークソングの成れの果てが、こんな無様な姿を歌っていた。
 イーズカの世代は厳冬期に運動をゼロから立ち上げたので、前世代の甘ったるい郷愁感が許せない。
 企業に就職してから何をした?
 奴隷社会の末端を担っただけである。ジャパン・アズ・ナンバーワンに浮かれ、バブルに踊っただけで、失われた30年のあいだ年金計算をしていたに過ぎない。
 敬老社会など衰退社会の別名に過ぎない。年齢などに関係なく、「今日より、もっと良い明日」を求めなければ、社会は停滞する。
 「その席をとっとと空けろ」と言いたくなる。想像力無きものは去れ、である。

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