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第七十九話 ストーン都へ行く


蝉が葉邑で繁く鳴いて真夏の到来を告げている。そろそろお盆なのだ。
「今年は墓参りに行こう、いや、何としても行かなくてはならない」
もう三年もご無沙汰しているのだ。ご先祖様に申し訳ないという想いより、三年も手入れをしていないと墓の周囲が酷いことになっている、という心配が先に立つ。我が家の墓地は周囲を深い藪に囲われている。墓のある辺りは墓地の辺縁に位置しているので、ちょっと眼を離すとたちまち雑草が伸び、雑木が枝を蔓延らしてしまう。
意を決して墓参に行くことにした。その日、昼からかなり気温が高くなるという天気予報だったので、午前中に墓参を済ませてしまおうと家を出た。
こんなことを言うと奇異に思われてしまうのだが、私はここに来る度に墓石が微妙に動いていることに気づいて、妙に落ち着かない気分にさせられるのだ。
「記憶違いかも知れないな。何しろ五十歳の声を聞く大分以前から、失念、取り間違え、思い違いが増えてきているし・・・」
しかし、事は我が家の墓石だけに限らなかった。隣近所の墓を見て回っても、僅かずつだが確かに墓石がずれている。地震という線も考えてみたが、ここ暫く墓石を動かすほどの規模の地震にはこの近辺は見舞われていない。最も考えられるのは、人の手によって動かされることだ。
「何が面白いのか、墓石を倒す狼藉を働く馬鹿者は後を絶たないからな」
しかし、これだけの墓石を、それなりの古刹だと聞いているので、多分千基近くあるのを、決まった距離だけ同じ方向に少しずつ動かすのは物理的に不可能だ。
墓石自体は不動産(時間と空間の両方の意味で)ではないだろうが、動くことの不都合に満ちた資産だ。不動であることで成立する資産といってもいいだろう。墓とは、そこに入って初めて人生は完結するものだ。しかし、墓が行住坐臥動いてしまっては完結する筈の人生が終わらない。死が全うできなくなる。すると、いつまでも人々は煩悩に苛まれる。
少子高齢化が進むと、寺の破産が増える。遂には檀家制度が崩壊する。極論だが、墓が動かないことを前提に成立していたのが檀家制度だ。墓が動くと在家仏教が崩壊してしまう。「そのことを知った墓石が生臭坊主に天誅を加えるために叛乱を起こし、静かに夜ごと少しずつ移動し始めたのではなかろうか。それとも、墓地自体が少し傾斜していて、地面と墓石との間に水が浸みこんで氷り、スライドしてしまうのか。もしくは地面と墓石の間に苔のような植物性の緩衝材になるものが発生して、その上をスライドしてしまうのだろうか」
墓石ではないものの、世の中には動く石が存在する。その動く石の存在を知ったのは最近なのだが、話は一九四〇年代に遡る。
アメリカ合衆国のカリフォルニア州に在るデスバレー国立公園内のレーストラック湖。「湖」とは書いたもののだいぶ前に干上がって、もはや湖の面影など何処にもない。この干上がった湖底を数十個のかなり大きな石が独りで動くのだ。すべての石が動くわけではない。動く石は十四キロ程度のものだが、中には三百キロを超えるものもあるらしい。
実際、誰か石が動いている瞬間を目撃したわけではない。しかし、それぞれの石に引き摺られた跡が長々とついていた。そこから耳目を集め、「石が自分で勝手に動き回る」という噂が噂を呼ぶことになった。
石が自分で、それこそ自らの意思で動くなどということはあり得ない。あり得ない筈のことが起きたので、その原因が究明された。強力な磁場の歪みによるフォース説、エイリアンの仕業による宇宙人説、地表に繁殖するネバネバした細菌や苔が滑りやすくさせている細菌・苔説などが唱えられた。しかし、どれも納得させるほどの説得力はない。
そこで挙がったのが風だ。しかし、百キロ近くもある石を動かすには風速二百四十キロの強風が必要になる。だが、地球上でそんな風は吹かない。次にでてきたのが氷床説。この場所はデスバレーの中では比較的高所にあり、冬には氷点下になる。冬の雨で表面に水が溜まった状態で気温が下がると石が埋め込まれた氷床ができる。それが移動することによって軌跡ができるとされた。デスバレーで集めた気象データから、ここでも北極並みの極寒になることが判った。
移動の仕組みはこのように詳説されていた。
「冬に雨が降って石の周囲が池になる。池が夜の冷え込みで凍る。日が昇るとともに氷が融けて割れる。割れた氷が風に吹かれて池の上を移動する。同時に石を押して移動させる。水が干上がると移動した跡だけが残るため、あたかも石が自走したかのように見える」と云うわけだ。
石の移動に必要な条件は秒速三~五メートルの風、風で移動できる程度に石を押せる窓ガラスのような厚さ三~五ミリ未満の氷、氷が自由に動けるほどの水深七センチくらいの池、などだ。池が深すぎると氷が石の上を通ってしまうため、特に小さい石は移動しにくい。それが十四キロ以下の石が移動しない原因だ。
なるほど、知ってしまえば簡単なメカニズムだ。しかし、我が家の菩提寺はそれほど極寒の地に在るわけではない。何の特徴もない寒村に在る。否、特徴も無くはない。急速に過疎化が進んでいる。もしも墓石が動いているのが事実なら、思い当たる節が無いでもない。「子孫が次々に村を離れるのを観て、ご先祖様も居た堪れなくなってこの地を後にしようとした。そうとしか考えられない」
そんなことをつらつらと考えている私の面前を葉邑を揺らせて涼風が吹き抜けていった。
私はふとこんなことを考えた。
「あるいは、ちょっと飛躍した発想かも知れないが、墓石はこのじり貧状態を打開しようと立ち上がったのではないか。衆議一決。満月の夜に月が干満に影響を及ぼす僅かな力を借りて、少しずつ、笠懸地蔵のように、みんなで示し合わせて、この寒村の墓地から抜け出そうとしたのではなかろうか。墓同士が語らい合って都会に向かおうと脱出を試みようとしたのだ。きっと都会の墓地には好いことが待っている。稼ぎの口だって見つからないとも限らない。うまくいけば大口の投資話が纏まるかも知れない」
そう考えたのだろうか。
「しかし、都会の墓地は既に新規設置の余地は無くなって久しい。そうとも知らず、寒村の墓地は今日も重い腰を挙げ、一路都会を・・・」
また風が一頻り吹き渡った。刈った夏草の香りが一際濃く鼻腔を撃った。
墓石に急かされるように私は腰を上げた。
 


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