第三十四話 ゴミ泥棒
欅通りは駅から線路に対して直角に延び、その先で国道に突き当たる。国道までの三百メートル近くの間に大きな団地やマンションが並んでいる。十年ほど前、ビール工場の跡地を宅地に転換した大規模開発が行われたのだ。
昨夜、都心で催された久しぶりの大学の同窓会の流れで、二次会、三次会へと繰り出しているうちに終電に乗り遅れ、漫画喫茶で一晩過ごすことになってしまった。長く退屈な時間を無為に過ごした自責の念に苛まれながら、始発電車を待って帰ってきた。
家に向かって、欅通りが国道に突き当たる辺りまで来たときのことだった。
団地のゴミ捨て場でせっせとゴミを運び出している人がいた。
そういえば月曜日はゴミ出しの日だった。九時までに出さないと回収してもらえない。しかし今はまだ五時半だ。
ゴミの上にはカラス避けの網が掛けてある。その網を外し、半透明のゴミ袋の中身を外から眺めて、眼鏡にかなうものをライトバンに積み込んでいる。
大分前からペットボトルやアルミ缶、新聞紙などの資源ゴミを持ち去ることは禁止されている筈だ。通常ゴミを持ち去るのはどうなのだろう。回収業者ならいざ知らず、どう考えてもゴミは捨てるもので持ち去るものではないだろう。不思議に思って件の男に訊ねてみた。
「えっ、ああ、ゴミを回収しているんですよ」とバツが悪そうに答えた。
「ゴミの回収って、役場の方かボランティアの方ですか」
「いえ、そうではないですけど・・・」
「えっ、じゃあなぜゴミなんか回収しているのですか」
「答えなくちゃいけませんか」
「いや、べつに嫌なら答えなくても構いませんが、ちょっと気になったものですから」
「そうですか、気になりますか」
「ええ、ちょっと変だなと思って・・・」
「変?」
「ええ、だってゴミって捨てるためにここに持って来るんでしょ。それをわざわざ仕事でもないのに持ち出して、一体そのゴミをどうするんです? 焼却場に運ぶんですか。回収業者に任せればいい話でしょ」
「おっしゃるとおりです。ゴミを処分するならそうするでしょう」
「処分しないのですか」
「ええ」
「じゃあ、このゴミをどうしようっていうんですか」
「ええ・・・と、しょうがない、話しましょう。売るんですよ」
「売るって、ゴミを、ですか?」
「そう、人様の出したゴミを欲しがる人が世の中にはいるんです」
「ゴミを?」
「あなたはゴミを単なるモノとしてしか見ていないから、そう思うのです。実はゴミは情報の宝庫なんですよ」
「情報の宝庫って言ったって、ここは団地ですよ。企業秘密や役に立つ情報が家庭ゴミにまぎれているなんて到底思えませんがね」
「そうでしょう、そうでしょう。普通の人にはゴミはやはりただのゴミにしか過ぎません。しかし、ある種の人にとっては情報の宝庫、いやまさに宝そのものなんです」
「はぁ?」
私は呆気に取られて次の言葉が出なかった。
「ゴミ出しの日が近づくと、前の日から、どの地区のゴミか、今度はどんなゴミが出そうなのかだの、問い合わせや催促のメールが矢継ぎ早に届くんですよ」
「一体、だれがこんなゴミを買うんですか?」
「それは顧客の名誉と個人情報に関わることですから、詳らかにするわけにはまいりません。ご了承ください」
「個人情報だの名誉だのって言っていますが、見ず知らずの人に自分の出したゴミを転売されたりしたら、気持ちの悪いことこの上ないじゃありませんか。もしそのゴミが若い女性のものだったりしたら、きっと嫌がりますよ」
「そうです、そこです。その若い女性の出すゴミほど高価なゴミはないのです。ゴミは所詮ゴミです。買う人がその価値を認めてこそ初めて商品になるのです。ですから、買う人が価値があると認めれば価値が発生するのです。現在のところ、若い女性の、それも世田谷区在住のキャリアウーマン、それもちょっと遊び人タイプの女性のものが最高値をつけています」
「それって、いろいろ理屈をつけていますが、つまり覗きってことですよね。ゴミを通して若い女性のプライバシーを覗くなんて、結構下劣な行為ですよね」
「下劣とおっしゃいましたか、下劣と。確かに見方によっては下劣と見えなくもない。しかし、これは想像力の問題なんですよ。ゴミを介して想像力を膨らませ、ひとつの世界を想い描く。これはピカソやマチスにも匹敵する創造行為ですよ」
「想像力って言ったってそれは単なる妄想でしょ、くだらない!」
「そんなことはありません。ゴミという断片的な物、抽象的な物から全体を、ひいては世界を構想する。それこそクリエイティブな行為じゃありませんか」
とまあ、その後も一頻り男との不毛な議論は続くことになった。ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。我田引水と云うべきか、牽強付会と称すべきか、私は男との応酬に些か疲れてきた。
昨晩の飲みすぎも影響しているかも知れない。こんなくだらない遣り取りに時間を費やす暇はない。そう思って、私はそこに置いてあったゴミ袋をひとつ抱え、背中で男が投げつける悪罵を跳ね除けながら一散に家路についた。