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第百話 ラッキー、永遠の愛


ゴールデンウイークに家族でバリ島に旅行することになった。
「ねぇねあなた、どうするの」
心配なのは女房だけではなかった。
家族で一緒に出掛けるにあたって、解決しなければならない問題があった。女房と会社勤めしている娘のスケジュール調整や日程の遣り繰りではなかった。勿論、経費の問題でもなかった。愛犬ラッキーをその間どう面倒見るか、だった。
幸い、近所の動物病院に併設されたペットホテルにまだ空きがあった。
「ラッキー、大丈夫かしら」
女房はまだ心配顔だ。
八歳になる今日まで、ラッキーはただの一度も他所に預けられたことがなかった。今回が初体験というわけだ。
ラッキーは雄のゴールデンレトリバーだ。八歳のゴールデンレトリバーはかなりの体格をした大型犬だ。力も強い。三歳くらいまでは、まだ子どもの頃の甘え癖が抜けず、あの体格でじゃれついてくるので、相手をしていると汗だくになる。だが、年を経るに連れて落ち着きが出てきて、今では散歩の時も室内でも、あまり無暗にじゃれてくることもなくなった。ラッキーは、そう、とても好い子だった。ペットホテルで一週間預かってもらっても、特段心配することはなさそうだ。
ペットホテルで必要事項を記入した書類と一週間分の料金、それに寝床としていつも使っている古毛布を渡し、ラッキーに別れを告げようとした。するとラッキーは甘えるように何だか餌を強請るような声を出した。日頃聞き慣れない鳴き方だった。
「ラッキー、寂しそうね、でも何だか変ね」
娘も心配顔になった。私も少し気掛かりだった。
一週間のバリ島旅行を終えると、真っ先にペットショップに向かった。すっかり寂しがっているだろうと、逸る気持ちを抑えて待合室で待っていた。
「ラッキー!」
暫くして奥から出てきたラッキーはあまりはしゃいだそぶりも見せず、淡々としていた。尻尾を千切れんばかりに振り、鳴きながら飛びついてくるものだとばかり思っていた私たち家族は、拍子抜けしてしまった。
家にラッキーを連れ帰って早速ご飯をあげることにした。いつもはがつがつと食べる筈なのに、皿のドッグフードの臭いを嗅いだだけで一向に食べようとしない。
「これまで散々探してやっと見つけた、ラッキーのお気に入りのフードなのに・・・」
居間で寛いていると子どもの頃のようにじゃれついてくる。相手をしていると汗だくになる。試しに幼犬の頃に遊んでいた遊具を引っ張り出してきて与えると、無邪気に一人遊びしている。
「一週間留守にしていたことがきっかけになったのかな」
子どもが小さい頃は、先に産まれた子が後から産まれてきた弟妹に親を取られまいとして幼児返りすることがよくある。あれと似た現象なのだろうか。散歩の時も室内でも、幼犬のように甘えてくる。どうしたのだろう。
ゴールデンレトリバーはゴールデンレトリバーなのだが、何となく一週間前のラッキーではないような気がしてきた。いつもの古毛布の上で寝ることもない。
「ひょっとして、ラッキーは何かの原因で居なくなり、同じ犬種の似た犬を探して、代替犬として寄越したのか・・・」
そんな疑念が湧いてきた。だが、確信はない。
一方、動物的勘で困惑を察知したラッキーは、「まずいな、勘づかれたかな。でも、いまさらボクがラッキーではないなんて判ったところでどうなると云うものでもなかろう」と少しばかり心配気に主人を見上げた。
「気づかないところを観ると、ご主人は先住犬のラッキーのことを知り尽くしていたようで、本当は何も知らなかったんだな。娘さんや奥さんのことだって本当のところは何も知らないんじゃないかな。ふっ、ふっ、ふっ・・・」
当の私はと云うと、ラッキーが笑ったような気がして安心した。この犬は下を向いたときに何処となく人を喰ったような、嘲笑しているような表情をみせることがあるのだ。
「ボクは先住犬のラッキーから飼い主のことを聞いてそれなりの対応をしたのだ。先住犬のラッキーはボクにこんなことを言って息を引き取った。『愛犬家などと自称しているが自分たちを一方的な愛玩物にしているだけなのだ。そこには尊敬の念など微塵も感じられない。いつまでも子ども扱いされるのも甚だ迷惑なのだ。犬の一年は人間の七年にも相当する。人間の感覚ではその成長のスピードをとても理解できない。困ったことだ。もう一度、犬に生まれ変わったら、今度は人間を飼ってみたい。そのときは与えられる愛情を全て注いで』」
ラッキーはそう想ったが、当然のことながら口に出したりはしなかった。
ラッキーはまた見上げて、今度は怪訝な顔をした。
「そんなことも知らずにご主人は無邪気にボクの頭を撫でてくる。すっかりボクが元から居たラッキーだと信じているようだ」
くすっと笑って独り言ちた。
私はラッキーの様子に少し違和感を覚えたが、ラッキーはラッキーだ。以前と変わらず私たち家族に愛情と安らぎを与え続けてくれる。
「ラッキー、有難う。いつまでも、いつまでも元気でいてくれよ」
ラッキーは床に伏せて安堵の表情を浮かべた。
「本当のところは犬のみぞ知るってことなんだな」
総て丸く収まったことを確認すると、ラッキーは古毛布を掻き寄せ、寝息をたてた。

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