見出し画像

第八十八話 帝国避雷針工業


「うん、なんだ、あれは?」
その看板を見かけたのは、週末に家族で焼き肉店を探しているときだった。車で薄暮の街を走っていると、「帝国避雷針工業」と描かれた看板が目に飛び込んできた。仕事で車に乗っているときは大抵目的地に急いでいるので、あまりきょろきょろと街の様子を観ることもない。その日、たまたま人気の焼肉店を探していた。薄暮で周囲の様子が見えにくくなっていたのも手伝って、街の風景を凝視していた。その眼に飛び込んできた。
「それにしても大層な」
その看板は格別大きいわけでも、電飾で目立たせていたわけでもなかった。今では何処にも掲げていない古びた木の板で作られていた。なによりも驚いたのは「帝国避雷針工業」という時代錯誤な社名だった。
その社名からすると、避雷針を造って卸しているのか、仕入れて売っているのか、それとも製造販売をしているのか、どれかなのだろう。だが一体どんな会社なのだろう。
雷の恐ろしさと、落雷を地面に逃がす避雷針の役割程度なら、確か小学校あたりで習ったか、テレビで見たか、知識として知っていることは知っている。知ってはいたものの、「避雷針って、そんなものを手掛ける会社があるのか」ということが私にとってはまず驚きだった。
確かに高層の建造物や公の建物などには、安全のため、避雷針が必要かも知れない。雷が落ちてパソコンが壊れたり、出火して大惨事を招くことだって無くはない。雷に打たれて死亡する例も稀にはあるようだ。
週が明け、出社して会社のパソコンで「帝国避雷針工業」を検索してみた。すると、今年で創業九十周年を迎えるそこそこの社歴を誇る老舗企業のようだ。「技術でお客様に奉仕」「社会の公共と福利の増進のために」「従業員の幸せを目指して」とか、どこの会社でも謳いそうな理念とともに概要と沿革がホームページに載っていた。従業員数は二百人ほどで意外に小規模だ。
にも拘わらず、歴代の代表取締役を見て驚いた。代々、逓信省や郵政省からの天下りがほとんどを占めていた。こんな零細企業になんで役人が天下ってくるのだろう。
「どんな会社なんだろう」
その日以来、この疑問が私の頭の大半を占めてしまった。
「ひょっとすると、万が一の可能性だが、この帝国避雷針工業は、実は盗聴用のシステムを開発している会社なのではないだろうか」
そんなことをふと思った。
それも秋葉原あたりで手に入る簡便なものではなく高性能の盗聴システムだ、きっと。それを街の一角に人知れずひっそりと設置すると、近隣一帯の盗聴を可能にする。そんな高度なシステムを開発し、構築し、国に納めているのではなかろうか。
そう当たりを付けた私は、友人の新聞記者にリークした。そして、時間を作って帝国避雷針工業の社屋を撮影し、それとなく社員の様子などをカメラに収めた。
撮影していて妙なことに気付いた。
ここの社員は常にひそひそ話をしているのだ。私も予想はしていたのだが、ここまで陰に隠れてこそこそするのには何か訳があるのだろう。機密の事業を秘密裏に行っているなによりの証拠ではなかろうか。私は勢い込んでネットはもちろん、データバンクや要録を調べ上げ、罪業に結び付く疑惑のシーンを押さえた。ところが意外なことに、新聞社ではせっかくの大スクープが没になってしまった。友人の話に依ると、タイムリーなネタだが如何せんナーバスな話題過ぎるとのことだ。
究明する相手は一人帝国避雷針工業に留まらない。目指す本丸は帝国避雷針工業を使嗾する国家だ。国家の悪行を暴こうとすれば、あらゆる手を尽くして妨害は及んでくる。合法、非合法を問わず使える手は何でも使う。それが国家権力と云うものだ。多分、新聞社にも上から圧力がかかったのだろう。私個人の力では到底、追い詰められない。これ以上の追究は諦めざるをえないだろう。
「止むを得ない」
しかし、ひょんな所から助け舟が現われた。風俗週刊誌だ。個人情報の漏洩に過敏になっているこのご時世、食いつきやすいネタということなのだろう、運よく拾ってもらえた。そして事は意外な展開をみることになった。私の記事をきっかけに、国の行っている情報管理と利用の仕方に反発が巻き起こったのだ。その動きは、被害者意識の旺盛な人々の間に、燎原の火のように拡がっていった。
所変わって帝国避雷針工業の研究所。
二人の研究員が物陰で相変わらずひそひそ話をしていた。
「データは集まったかね」
「ええ、手古摺りましたが、ほぼ全国のデータ全てが集まりました」
「手古摺ったかね、そりゃそうだろう。全国のデータを集めるとなると一筋縄ではいかんからな」
「集まったデータの価値を知れば知るほど皆尻込みしてしまいますからね。財宝の詰まった宝箱と云ったところですか」
「そうだな、それではそのデータを早速解析してみようじゃないか」
「解析の結果次第では世界をこの掌中にすることも可能になるやも知れんな」
そう言って互いに笑い交わした。
私の期待していた通りの結果がそこに示されていたのだ。
だが事は意外な展開をみせることになった。真相が明らかになって驚いた。
「やはり、発電された電気と雷から得た電気では電気特性がこのように違うのだな」
「ええ、これだけ有益な特性を持つ雷から得た電気なら用途は広いですね」
出てきたデータを見て二人はほくそ笑んだ。
私は談笑する二人を観て、懼れていた事態が今まさに惹き起こされようとしていると直感した。
「彼らの集めたデータを解析されてしまえば一網打尽、全国でどのような動きが為されているのか、そして今後どのような挙動が起こるか予測可能になってしまう。まんまと彼らの思う壺に嵌まってしまう」」
しかし、これは私の杞憂だった。後に判ったことなのだが、帝国避雷針工業では他の企業に察知されないように極秘で長年、雷の電気特性の研究をして雷発電に取り組もうとしていたのだ。雷発電は発電設備が不要で、電気を誘導する避雷針的なアンテナだけで電気が得られる。火力、原子力、水力と比べても高い経済効率を誇り、環境に優しい持続可能な好い事尽くめの電気エネルギーだったのだ。この夢のエネルギーの実現を前にして帝国避雷針工業はナーバスになっていた。そのため、秘密が漏れないように社員同士ひそひそと話していたのだ。
しかし私を始め国民は既に、国が全世帯に盗聴システムを張り巡らせ監視を始めたと迂闊にも思い込んでいた。そこで帝国避雷針工業では人目を避けてさらにひそひそと話をするようになったのだ。それやこれやが重なり、世間はすっかりこの会社に冷たい目を向けるようになっていた。さすがに人々が口を極めて謂れのない叱責と悪罵を投げつけるのに、帝国避雷針工業では堪忍袋の緒が切れてしまった。
だが、程無くして事態は一変した。罵詈雑言の主の家や会社が次々に災厄を被った。雷雲の発生する天候を俟って件の建物に集中して雷が落ちるようになったのだ。帝国避雷針工業は本業である雷をコントロールする技術を駆使して、未来に盾突く者に然るべき罰を加えたのである。天誅と云えよう。
ある曇天の日の午後、私は街をそぞろ歩いていた。急に涼風が吹き抜けた。すると、それまで静かだった空が一転俄かに掻き曇った。間髪を入れず、怒髪天を衝く轟音とともに眼前を数条の稲妻が走った。頭の上で鳴り響く雷鳴はこの世のものとは思えないほどの轟音を立て、騒動の首謀者としての私の意識を遠く連れ去ったのだった。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?