第八十九話 フランス式錯誤
「そうか、家族旅行か・・・」
前回は金沢だった。あれからもう二年が経つ。
三人のスケジュールを調整してやっと見つけた春の一日。娘は連休の始まる三週間ほど前から鎌倉のガイドブックを買い込んで、一日で効率よく見て回れるルートを探していた。旅行自体、久しぶりだ。
娘は女房と私には一言も相談せず、北鎌倉駅で降りて円覚寺、東慶寺、あじさい寺を経て建長寺から鶴岡八幡宮を回り、若宮大路を通って鎌倉駅に至るコースを決めた。
忙しない日帰り旅行。どうせ親に相談すると長谷寺や露座の大仏などを見たがり、じっくり買い物を楽しむ時間が割けなくなることを心配して、一人で決めてしまったのだ。
昼飯時までに円覚寺、東慶寺、あじさい寺、建長寺、鶴岡八幡宮を回り、若宮大路の蕎麦屋で昼食を済ませた。
昼食後、女房と娘は「大路沿いを女同士でウィンドウショッピングして回りたい」と言い出した。ゆっくり買い物を楽しみたいのに、周りをいかにも手持無沙汰な風情で、私にうろうろされるのが剣吞だったのだろう。三時間後に鎌倉駅の切符売り場で待ち合わせることにした。
「さて、三時間をどう過ごしたものか」
思案しながら暫く二人の後をついて回っていた。
「お父さん、無理に私たちに付き合わなくてもいいのよ」
娘に言われてしまった。
付き合うつもりもなかったが、さりとて何をしたいというわけでもなかったのだ。
退屈凌ぎに大路の面白そうな店を覗いてみようと反対方向に歩き始めた。
「スミマセン」
後ろから妙な抑揚でと声をかけられた。振り向くと初老の白人の夫婦がいた。
「日本の土産として何がいいですか」
あまり流暢とは言い難い英語で話しかけてきた。
「日本の土産」と急に言われてもアドバイスのしようもない。
食べものかグッズの類か訊いてみた。すると、後々まで想い出に残るものがいいと言う。それなら鎌倉彫がよかろうと、大路の両側を二人を案内しながら手頃な店を探し始めた。
鎌倉彫の看板を出している店は何軒もあったが、そのうちのいかにも老舗然とした店に一緒に入ることにした。
店内は余裕を持った陳列の仕方をしていて、高級感が漂っていた。壁掛けから手鏡、小物箪笥、鍋敷き、お盆など、どれも見事な仕上がりで、惚れ惚れするものばかりだった。出来映えもさることながら値段もそれ相応のものばかりだった。長く使うということなら、お盆が好いだろうと薦めてみた。細工の見事さに驚嘆の声をあげながらも値段を見てまた驚いている。
二人がどれを買い求めたらよいのか決めあぐねていたので、私はあまり細工の凝っていないシンプルなものを、そしてそれは価格も手ごろなものになっていたので、さり気なく薦めて、何を買ったか確かめないままに店を後にした。帰りの電車の時間まではまだ余裕があったが、女房と娘がどんな買い物をしているのか気になったので、二人を残して店を出て女房と娘を探すことにしたのだ。
暫く鎌倉方面を歩いていると、女房と娘は甘味処と書かれた和風の喫茶店の窓越しに私を見つけて手を振ってきた。
私も喉の渇きを癒そうと日本茶でももらうことにした。
二人に鎌倉彫の店でのいきさつを話した。
「へぇ、そんなことがあったんだ。そのお店、私たちも見てみたい」
と云うことで、先程の店を再び訪れることにした。
店内を物色していると店主が出てきて、「先程の二人はフランスのオルレアンから来た観光客で、とても素晴らしいものだとあなたが薦めてくれたので、鎌倉彫のお盆を買い求めていきました」と教えてくれた。
それを聞いて娘はくすりと笑った。
娘が五枚セットのコースターを買い、女房が小ぶりの壁掛けを買って、その店を出た。
「ねえねえ、お父さん。なんでそのフランス人が鎌倉彫のお盆を買ったのか判る」と娘は声を潜めて訊いてきた。
私は何でそんな単純なことを訊くのか、訝しく思った。
「日本人の私が鎌倉彫を薦めたからじゃないのか」と応えた。
「そうじゃないと思うわ。お父さん、薦めるときに『お盆、お盆』と何度も言わなかった」
「ああ、そりゃあ言ったと思うよ」
「それよ、それであのフランス人はお盆を買ったのよ」
「だったら当たり前の話ではないか」
怪訝な顔をしている私を見て、娘はまたくすりと笑った。娘は大学で第二外国語にフランス語を選択していた。そしてこう解説してくれた。
「『お盆』を紹介するのにお父さんが使った『Bonn』という言葉、フランス語の素晴らしいを意味する音と同じなのよ。だから、てっきりそのフランス人は単に鎌倉彫のお盆を紹介してくれたのに、『これはとても素晴らしい土産だと薦めてくれている』、そう勘違いしたんじゃないの」
「なるほど」と私は思った。が、返事はしなかった。
娘は私の表情が緩んだのを見て、またくすりと笑った。