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A Rainy Day in New York

ウディアレンの最新作。ニューヨーカーでお坊ちゃんの大学生ギャッツビーはガールフレンドのアシュリーが得たニューヨークでの大物映画監督への取材という好機に乗っかって、彼女にニューヨークを案内する週末の計画を立てる。
しかし、映画監督にアシュリーが気に入られた事をきっかけにデートの予定はどんどん狂いはじめていく。
待ちぼうけを喰らったギャッツビーは昔の恋人の妹チャンにたまたま再会し、一緒に美術館を散策することに。

新型コロナウィルスの影響で余儀なく帰国することとなった3月まで、ニューヨークに弱1年滞在していた。擬似「ニューヨーカー」体験を経た後に、ニューヨークを舞台とする映画を見る度に思うのは、この街はなんて外面がいいのだろう!ということだ。

ニューヨークは実際に住んでみると、カオスでクレージーな塵溜めだ。
観光客が好むようなフィフスアベニューやMOMA美術館などは行ってみるとなるほど綺麗だが、どことなくどんよりとした空気感が垂れ込めていて街全体が空々しい。
タイムズスクエアやサブウェイなんかに足を踏み入れると、ドブのような腐臭に眉をひそめてしまう。
小さな路地裏や路線の暗影にはいつも何かが蠢いていて、大抵はドブネズミである。

でも映画に映るニューヨークは洗練されている。
そこにはドブネズミも腐敗臭もなく、すすんと鼻を鳴らしてみれば、品のいい葡萄酒の香りが身体中に染み渡ってきそうな甘美さだ。
誤解しないで欲しい、私は現実のニューヨークも大好きだ。
でも猫被りした「映画のニューヨーク」は余りにも気取っていて、少し笑えてしまうのだ。

さて、そんな元来外面の良いニューヨークがウディアレンの魔法にかかった日にはたまったもんじゃない(褒めている)。

大雨の中じっとりと濡れたマンハッタンは、ウディアレンの繰り広げるお約束の恋愛ドタバタ劇にうってつけだ。
彼ほどニューヨークをおめかしするのに優れた映画監督はいないのではないだろうか。

最も印象に残った場面は、アシュリーが親しくなった映画スターの家から裸で逃げるシーン。
エル・ファニングの身体があんまりにも神秘的で言葉を失った。
彼女の肌の白さはとても実写の白とは思えない、まるで西洋裸婦画のそれだ。非常階段を急いで駆け下りる度に波打つ肉体もとにかく絵画的。
大降りの雨の中にぼんやりと浮き上がる白い身体は、印象派の油絵の様な優美さがある。
映画でチェックしてみて欲しい。

一つ驚いたのは、セレーナ・ゴメスのキャスティング。
ウディアレンの映画にはなかなか出て来なそうな女優だ。
確かにチェンの陽気で小悪魔な感じは、セレーナ・ゴメスのポップでキュートな雰囲気にうまくハマっていた。
でも、ウディアレンのちょっとお高くとまった世界観には、彼女は少しはみ出てしまっているようにも思う。なんというか、彼女はとても現実的で世俗的なのだ。
個人的には少し残念だった(セレーナ・ゴメス自身は大好きである)。


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