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はじめまして
能楽師 大倉流小鼓方 飯冨孔明です。
他のSNSでは長くて書ききれない事を記事にしていこうと思います。
お付き合い頂ければ幸いです。
まずはじめに自分の家の事を書いてみます。
飯冨家について
先祖は武田二十四将の1人、「飯富兵部守虎昌」の弟「飯富源四郎昌景(山縣三郎兵衛昌景)」で私の代で十七代目となります。
私の家は曾祖父から能楽師の家で、その前は肥後藩細川家に仕えていたようです。
飯冨祥雲
曾祖父 飯冨祥雲(本名 飯冨又三)は喜多流 友枝為城師に師事しておりましたが、ある時に九州の能楽師の人手不足の為に高安流ワキ方へと転向します。
飯冨徹
祖父 飯冨徹は熊本県庁に勤めると共に高安流ワキ方を勤めていました。小柄でひょうきん者。でも腕っ節は強く、兄弟3人掛かりでも腕相撲で勝てないほどでした。
お酒に良く呑まれていた祖父ですが、実はお酒の飲み方は祖父に教わりました。
…これはまたの機会に。
飯冨章宏
父 飯冨章宏は高校生までは高安流のワキ方になるべく、修行をしていたそうです。大学時代に小鼓に出会い、鵜澤壽師に弟子入りし、今は熊本にて舞台を勤めています。
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飯冨孔明
私は福岡県太宰府市で育ち、3歳の頃に塩津哲生師に謡と仕舞を習っておりました。ウルトラマンのソフビが好きで、ウルトラマンに釣られて稽古に行っておりました 笑
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初めて小鼓に触れたのは記憶が曖昧ですが、父が組んだままにしていた鼓を触っていた記憶があります。
初舞台は10歳の時で、舞囃子「嵐山」当時は何も分からずに舞台に立っていました。
初能は同年9月に「西王母」今でも思いますが、良く打てたなと思います。それだけ何も考えずに舞台に立っていました(今考えると恐怖でしかない)
あとを継ぐ
中学高校と舞台に立ってはいましたが、あとを継ぐ事は考えず、太宰府高校 普通科英語コースに進み、海外に行けば後を継がなくても良いのでは?と浅はかな考えを持っていました。
高校時代に短期で海外へ行き、フランスで在留中日本人が日本文化を知らない事に衝撃を受け、日本に戻った時にあとを継ぐ事を決めました。