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24歳の告白。
私は怪我するのが怖い。
痛いのが怖い。
何かできないことがあったときにこれを読んでいる皆さんはどういう行動をとるだろうか?
A できるまで何度も挑戦する
B 諦めて気分が乗るまで距離を取る
小学1年生の頃、私の周りの友達はみんな自転車に乗れた。
一方の私は、自転車に全く乗れなかった。
理由は簡単、転ぶのが怖いし、痛いから。
乗れないのが悔しいよりも痛いのが怖い。
もっというと転んで痛くて泣いているのを見られて笑われるのが恥ずかしいそういう心理が働いていた。
結果的に自転車に乗れない自分が恥ずかしくなって転びながら泣きながら練習してなんとか乗れるようになった。
非常にダサい結末である。
簡単に言えば、失敗したくない完璧主義で鬼のようにプライドが高いとても気難しい人間。
できないことがあると悔しくて泣くというよりはなんで自分にはできないんだと完璧にできなかったことについて泣いているイメージ。
そこが全ての始まりだった気がする。
そこから私は「諦める」楽を知ってしまった。
・挑戦しなければ怪我をすることはない
・挑戦しなければダサい結果になることもない
・挑戦しなければできないことを自分で自覚しなくて済む
でも、自分が「ダサい」「カッコ悪い」と思われるのは死んでも嫌だった。
なので、自分が「ダサい」「カッコ悪い」と思われないために頑張ってきたことがほとんどだ。
テストでいい点数を取りたいのも「あいつは頭が悪いんだ」と周りに笑われないようにするため
オシャレに気を遣っているのも「あいつ、ダサいな」って思われたくないため
愛想良く振る舞っているのも「あいつ、つまらないな」「面白くないな」と思われないようにするため
自分の行動の全てに「他者の評価」がとても深く関係しているのである。
そういう行動をとっていると他者と自分の比較を当たり前のように行い、自己肯定感を自らの手で下げることを当たり前にやってしまう。
その逆で「あいつには勝っている」「俺に負けているあいつはダサい」という自己防衛の姿勢を持って人付き合いをしてしまう瞬間もある。
そしてその感情に気がつくと自己肯定感が下がるという負のループに入る。
結果的に、自分のことを信じることができないけど自分より相手がどんなことが優っているか、どんなことが劣っているかばかりを考える癖が染み付いてしまっている。
これはかなり深刻な問題である。
24年間生きてきて、この自分の根本にある考え方の歪み具合に気がつくことができたが、ときすでに遅しという感じもある。
これから変えていけばいいじゃない
意見としては間違っていない。
変わるためにに痛みや苦しみが伴うのもまた事実。
そんなの心が弱いだけだよ、メンタルを鍛えればいいじゃん
そんなの甘えだよ、そんな考え方をしていたら何もできなくなってしまうよ
それは自分でもわかっている。
わかってもなお、変えることができないから苦しみもがいている。
この感情を言語化できたのだってつい最近の話だ。
約24年間、この実態を真に理解することができないまま生活を送ってしまっていた。
それを変えるのに同じ時間がかかってもおかしい話ではない。
でも私は諦めない。
これまで言語化できなかった、するのが怖かったことに目を向けることができた。
長い時間がかかっても「自分のことを自信をもって好きだと言える」ようになりたい。
自分が好きな自分へ
おしまい。