昭和の小学生の遊び プラモデル編
1980年代、昭和50年代に小学生時代を過ごした私たちは、ガンプラブームの直撃世代です。
昭和ガンプラブームは慢性的品薄状態
でも、なかなか買えなかったんです。お小遣いが足りないとかじゃなくて、ブーム過ぎて慢性的に品薄だったから。
300円シリーズがメインだったんですが、「ガンダム」や「シャア専用ザク」などは人気でなかなか手に入らなかったんです。
お店の人に取り置きを頼んで気長に待てばどうにか手に入れることはできましたが、子供だからそこまで我慢できない。
だもんで、ロボット系はあきらめて「ムサイ」「ドダイYS」みたいな戦艦とか飛行機系を買ってしまったり、ひどい場合だと飛行機ですらない「武器セット」を買ってしまったり。
今だったらソッチ系も悪くないと思いますけども。
子供には無謀な塗装塗り分け
苦労して手に入れたガンプラも、当時は色分け済みプラモじゃなかったんで筆でペタペタ色を塗るんですが、そこで失敗して台無しっていうパターンも多かったなあ。
広いところを塗るんならともかく、ガンダムの顔とか細かいところを小学生にキレイに塗り分けろというのも無理な注文です。よくも泣かずに頑張ったものだと思います。
ちなみにガンプラは今でもたまに作ります。色塗りもキット自体が塗りやすく配慮されてるし、なにより大人なので大丈夫。
プラモデルはガンダムだけじゃない
先に書いたようにガンプラはとにかく品薄。買えない時は他のシリーズのプラモデルを作ってました。
「マクロス」「イデオン」「ダグラム」とかのロボットシリーズとか。マクロスのバルキリーは、ちょっと高いやつだと補強用の金属パーツがついてて、ちゃんと変形できるようになってました。カッコ良かったなあ。
「宇宙戦艦ヤマト」の安い戦闘機シリーズもよく作ってました。コスモゼロとか。100円とかで売ってたんじゃないかな。(今だとプレミアついちゃって6000円くらいで売られてるみたいです。)
「ロボダッチ」「たまご飛行機」とかのお手軽なシリーズもよく作ってました。お手軽とは言え、こっちも色分けされてないから細い筆で必死になって塗るわけですが。
プラモ作ってラリる小学生
何だかんだで楽しく塗ったり組み立てたりしてたんですが、今思うとかなりの健康被害が。
塗料や接着剤、溶剤(シンナー)のニオイを存分に吸い込みながら塗ったり組み立てたりしてたわけですから。
その状態で細かいところを根詰めて塗るなんてことをしてると、だんだん意識がおかしなことになってくるわけです。
幻覚見始めたらその日のプラモデル作りは終わりです。いないはずのカブトムシが壁にとまってたりしたらもう、あぶない状態です。
今思うと、接着剤は仕方ないにしても、なんで油性塗料を使ってたんだろう。
アクリル系(水性)だったらラリる心配はないし、希釈も筆洗いも水でイケるし、カブトムシを見ることもなかったろうに。
当時アクリル塗料があんまり売ってなかったのかもしれませんけど、何にせよそんなものの存在は知らなかったですね。結果的に命がけのプラモ作りをしてたわけです。あぶねえよ。
大人も踊らされたガンプラブーム
大人になって思い起こしてみると、悪い大人がいましたねえ。抱き合わせで在庫処分を買わされたり。ザク欲しかったらゴミみたいなプラモもセットで買わないとダメ、みたいな。
それから、あんまりにもブームで売れるってことで、ウチの近所では印刷屋がプラモデル売り始めました。けっこう穴場で、欲しいやつがシレっと置いてたりしたんですよ。
だんだん印刷屋よりもプラモ屋メインになってきて、私たちが作ったプラモを飾ってくれるショーケースを置き始めたり、末期には印刷屋の面影なしみたいなことに。
ブームが去ると何事もなかったように印刷屋に戻ってました。端っこの方に少しだけプラモデルも置いてたかな。
昭和の小学生はリスクだらけ
前回の小学生時代の魚釣りのテキストでも書いたように危険な場所での遊びも多かったですし、プラモ作ったら作ったで塗料や接着剤でラリるってんですから、当時の小学生は確実に今よりもたくさんのリスクを乗り越えて遊んでたんです。
それって、古き良き思い出とかそういうノスタルジー的なもんじゃなくて、普通に冗談じゃねえよって話です。昔は良かったみたいにホノボノしてる場合じゃないです。
良くも悪くも・・・ではなくてひたすら悪い意味で大雑把な時代だったんです。