ロックンロールかくあるべし
中学生くらいから現在に至るまでロックミュージシャンに憧れ続けて、音楽についてはもちろん、生活や行動、考え方もロック的であるかないかという部分を大事に考えてきました。
固定観念、常識、何にも縛られないことがロックで、理屈よりも感性に従って行動することがロック、漠然とそんなふうに考えてきました。
ただ、いい歳になって思うことは、コレコレこうすることがロック的だと定義づけすること、それ自体が型にハマっていてロック的じゃないんじゃないかということです。
たとえば曲を作る時も、私は凡人ですから天からメロディが降ってくるわけもなく、必死で雑巾の最後の一滴を絞り出すくらいの感じでやるわけですから、結局自分の持ちネタを切り売りしているだけでロック的感性とは程遠く、出来上がってみればいかにも型にハマったモノが出来上がるわけです。
日常における考えや行動にしても、ロック的を意識しすぎて結局それを頭で考えて動いていることに気づき、それがロック的じゃないと思えてうんざりします。
そこで私が好きなロックミュージシャンや、ロック的だなあと思える著名人、身近なロック的な人、彼らと自分を比べてみると、自分は本質的にロック的じゃないんだなと思うわけです。ロックな人って、ロック的にしようとリキんで必死でそうなってるわけではなくて、普通に暮らしてたらそれがロック的になってるんです。
迷惑がかかるので名前は出せませんが、若い頃一緒にバンドをやって遊んでいた人の中にも何人か音楽でメシを食っている人がいて、爆裂に売れてる人もいます。(こういうことを自慢げに書くあたりも私はロックじゃないですねえ)
そういう人の行動を思い起こすと、自分の感性ではちょっと考えつかないほどに自由で、自分が好きなことに一直線に進んでいけるパワーと自信に満ちあふれているんです。
私だって音楽は大好きですけど、度合いのことを考えると、結局のところ彼らほど音楽が好きなわけではないんだと思います。彼らはあまりに好きで好きでたまらなく、そこへ真っ直ぐに全力で飛び込める性質なんです。そこに私はロックを、自分との違いを感じるんです。
若い頃は自分だって楽器や歌や曲作りが彼らよりヘタなだけであって、ロック魂は負けていないと思っていた、思おうとしていた、コンプレックスの塊で、それがキツかったように思います。今そのコンプレックスが全くなくなったこと、それは楽になったと同時に少し寂しいことでもありますね。
寂しいけど、私がは彼らのような本質的なロック人間ではないので、ロック的であろうとするとそれは人工的に作られたものになってしまい、ロックと真反対なことになってしまうわけですから、こればっかりはどうしようもないんです。そのことに長い年月をかけて気付かされた、そういうことです。
ただ、ロック的じゃない私だって、ロックンロールを楽しむことはできますし、ロック的なことに憧れて真似事をして楽しむこともできます。だからそれでいいと思って暮らしています。それが私なりのロックンロールなんです。