−松葉色− 陸前高田で見た未来
陸前高田(りくぜんたかた)。
岩手県沿岸の南の端に位置する市。
陸前高田の「奇跡の一本松」はみなさんご存じだろう。かつてそこには、白い砂浜と7万本の松、高田松原があった。
地元の方々は、陸前高田のことを「たかだ」とか「たがだ」と呼ぶ。
ぼくは陸前高田にゆかりはないのだけど、地元の方々に倣って、以下「高田」と書く。
ぼくが初めて高田に行ったのは、2017年2月のこと。
大学のプログラムで、学習支援ボランティアとしてお邪魔した。
町の中華食堂に行ったら、お店のおばちゃんが案内してくれるより前に、常連さんっぽいおじさんが「そこさ空いてるから座りな!」と声をかけてくれた。
ぼくらボランティアは全部で7人だったのだけど、各々好きなものを注文したら、待ち構えていたように一瞬で料理が来た。おばちゃん、予知能力あるのかと思った。
お会計して帰る時、おばちゃんは「東京から来てくれたの?ありがとう~子供たちにしっかり勉強教えてあげてね!」と言ってくれた。
なんとなく、ふるさとに帰ったような気持ちになった。山と海に囲まれて、人があったかくて。
でも。
かつて まち があったところの景色は茫漠としていて、あるのは法面整形されたかさ上げ用の土ばかり。
ここを故郷としている人たちは、何を経験して、何を感じてきたんだろう。
もし、自分の故郷がここだったら。
他人事には思えないから、共感したいと思うけれど、「ヨソモノ」の自分にはどうあがいても100%共感しきることは不可能で、それがとてもとても、もどかしかった。
人それぞれの「世界」は、人それぞれの基底ベクトルが張る空間であって、その基底ベクトルを共有していない限り同じ「世界」を見ることはできない、とぼくは考えている。
つまり、x軸とy軸、z軸を知っていれば世界は3次元だけど、x軸y軸しか知らなかったら2次元の世界しか見えない。それから、同じ2次元でも、x軸とz軸なら違う平面の2次元になる、というイメージ。
ぼくらの「世界」を決める基底ベクトルとは、土地との縁や過去、人間関係、景色などだと思っている。
ぼくは、震災前の高田を知らない。震災を直接経験してもいない。高田で生活したこともない。
ぼくには、高田の人たちにとっての「陸前高田」とまったく同じ世界を見ることはできない。
でも、「これからの高田」というベクトルを共有することはできる。
それによって、自分にとっての陸前高田という世界を、何次元分か立体的にできると思う。
だからぼくは毎年、ボランティアや一人旅で高田に行っている。
大事なベクトルを共有するために。
初めて高田に行った時、語り部のおばちゃんが高田を案内してくれた。箱根山という山で、おばちゃんは教えてくれた。
「この山で松の子供を育てていて、何年後かに防潮堤の向こう側に植えて高田松原を復活させるんだよ」
それから3年半経った2020年11月。ぼくは6回目の高田に行った。
防潮堤の向こう側には、小さな松がたくさん植わっていた。
語り部のおばちゃんが教えてくれたあの時は「何年後か」がイメージできなかったけれど、小さな高田松原を目の前にして、あぁ未来は来るんだなぁと思った。
ぼくにとっての陸前高田が、ほんの少し立体的になった瞬間だった。
これからも、高田松原の松たちがすくすく成長しますように。
そして、高田のみなさんの日々がおだやかでありますように。
また行くね。
【松葉色】まつばいろ
松の葉のような深い緑。
年中青々としている松は、希望ですよね。