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−半色− 普通になりたかったから東大に入った

そう、元はと言えば、ぼくは普通になりたかっただけなんだ。


自分は普通ではないのかもしれない、と初めて意識したのは小4の時だった。

ぼくは小学生の頃から言わば「できる」子で、算数の問題を解くのはいつも一番早かった。
ある日の算数の授業で、いつも通り一番に問題を解いたら、友人が「ロボットみたいじゃん〜」と言った。ぼくはその発言に対して何も思わなかったし、どちらかと言えば褒め言葉として受け取っていた。
でも先生が、「そういうこと言わないの」と友人に注意した。
その時「え、なんで?」と疑問に思ったことが忘れられない。

じゃあ例えば体育の授業中、足の速い子が50m走でぶっちぎっていたとして、「新幹線みたいじゃん〜」と誰かが言ったらそれは注意されるのか、という話だ。
構造としては同じなのに、運動神経の良い子を囃し立てて叱られるというシチュエーションはあまり想像できない。
(というか、ぼくは運動面でも「できる」側で、とある競技の県大会で入賞するくらいだったが、それに対してはどんな形容も受容されていたように思う。)

その時初めてぼくは、「勉強ができる」ことは「普通ではない」、忌避されうることなのかもしれないと気づいたのだと思う。
もちろんそんな難しいことを言語化できていたわけではないが、子供ながらに違和感を抱いた。そうでないと、そんな小4の時の算数の授業中のワンシーンを今でも覚えている訳が無い。


「普通ではない」という違和感は、中学に進学してから確固たるものになった。
ぼくは地元の公立中に通っていて、テストでは100点を連発した。
(余談だが、100点をめぐる仁義なき戦いもあった。)

するとだんだん、「頭いいんだから」が枕詞のようにぼくに引っ付いてくるようになる。「頭いいんだから学級委員やってよ」「生徒会入ってよ」「次のテストも100点でしょ」「この問題も余裕で解けちゃうんでしょ」
一番嫌だったのは、テストの時、一科目終わるごとに休憩時間になるとぼくの周りにみんな集まってきて、ぼくを基準に答え合わせし始めることだった。
この嫌悪感は今でもうまく言葉にできないのだが、ぼくが正しいと勝手に決め込まれて、それを基準に一喜一憂されるのが本当に本当に嫌だった。


「普通じゃない、できる人」として扱われることに本当に辟易していたぼくは、頭の良い人がたくさんいる高校に行けば「普通」になれるんじゃないかと考えた。
今思えば、頭が良いにしては浅はかな考えである。
ともかく、「普通」に憧れたぼくは一生懸命勉強し、倍率6倍を勝ち抜いて進学校に入学した。

しかし、「普通」への憧憬は、入学1ヶ月であえなく散ることになる。
「まぁ100位くらいに入れれば御の字でしょ〜」と思って受けた入学直後のテストで、ぼくは3位になってしまった。
「普通」になるために頑張って受験勉強した結果、頑張りすぎて「普通」を通り越してしまっていたという非常に皮肉な結果である。

そして、良く言えば純朴、悪く言えば浅慮なぼくは、上を目指すマインドが染み付いていたために、東大を目指すことにする。

東大志望、学年1位常連のぼくは、高校でも「普通」になることはできなかった。
テストの結果が返却されるたびに「何点だった?」と友人に訊かれ、勝った負けたと一喜一憂される。テストの点も模試の順位も、望まずして基準にされ比較される。

先生たちもぼくに特に期待してくれていた。
もちろんそのこと自体はとてもありがたかったし確実に力にはなったけど、とてもとても苦しかった。
他の人は勉強してなくても特に何も言われないのに、ぼくは多少頑張っていても「そんなんで東大行けると思ってんの?」みたいな喝をよく頂いた。なんで自分だけ、って家でこっそり泣いていた。
ぼくは何も「普通」ではなかった。


そんなこんなでぼくは東大に合格した。
東大の中では、やっとぼくは「普通」になれた気がしている。
周りには優秀な頼もしい友人がたくさんいる。良い意味で誰もぼくのことを特別視していない、変な期待もされなくてとっても楽だ。

でも、東大生・東大卒は、世の中から見ればかなり普通ではないんだろうな。
憧れと嫉妬とその他諸々が混ざった感情でぼくらは見られているんだろうな。

「東大」という肩書きそれ自体は、正しさの基準ではないですよ。


ぼくは、いつか「普通」になれるんだろうか。

そもそも「普通」ってなんなんだろうか。



2月から、NHKの「みんなのうた」で、東京事変の「ふつうとは」が聴けるらしい。楽しみ。



【半色】はしたいろ
深紫と浅紫の中間の色。
この定義されているともされていないとも言えない中途半端な雰囲気が「普通とは」という感じで好きです。


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