保育の“当たり前”をエビデンスで変えていきたい。子育てアドバイザー・河西景翔さんインタビュー|Diverstyle Book
小学生の頃から保育士を目指し、中学生でボランティアを行ったのち、保育士としての勤務経験を経て子育てする人を孤立させないための発信を行う「子育てアドバイザー」として活動する河西景翔さん。保育の世界には男性が少なく、現在男性保育士の割合は全体のおよそ3%と言われています。そんな中、景翔さんはどのように自らの道を拓いてきたのでしょうか。「育児も保育も、男女の境はない。」をモットーに掲げ、オープンで朗らかな人柄の奥には、子育てをする人たち、そして自分自身が孤立せず、思うままに生きられるようにという強い願いがありました。
幼少期、戦隊モノの服を着ていなくて仲間はずれに
——今日のお洋服は色がぱあっと明るくてかわいらしいですね。
景翔:ピンクが着たいなと思って。子どもの頃から色が鮮やかなものが好きだったんですよね。母親が美容部員として働いていて、色彩感覚を大切にしていたからか、保育園児のときからカラフルな服を着せてもらっていました。でも周りからは、戦隊モノの服を着ていないと仲間に入れないと言われて、なんで? って。そういう経験があったので、ファッションについては「みんなと一緒でなきゃいけないのかな」という思いを抱えていました。一方で、周りにいる大人が「そのままでいいよ!」と声をかけてくれたことで「自分は自分のままで良い」と思え、同時に自己肯定感を高めるきっかけにもなったと思います。
——窮屈な思いから抜け出して、思うようにファッションを楽しむようになったきっかけは?
景翔:高校生の頃に新宿のクラブに行き始めたんですが、集まっている人たちが自由なファッションをしているのを見て、「あ、これでいいんだ!」と思えたんです。クラブで遊んでいる人たちを通して、自分が着たいものを着る喜びを知りました。その頃は『FRUiTS』や『Zipper』が流行していたのもあって、人と違うものを着ることが肯定されていた雰囲気もありましたね。今日、花園神社で取材してほしいとお願いしたのも、今話したような経緯で、新宿が自分を表現することのスタート地点だと感じているからです。
——『FRUiTS』では、シャワーカーテンを服として着るような斬新なアイデアでファッションを楽しむ方が誌面を飾っていました。さまざまな役割やコードが存在する社会で生きていると、思うがままに服を着ることが難しい場面もあるように感じます。景翔さんが服に関して窮屈さを感じた場面はありますか?
景翔:最初に勤めた保育園が、服装について独自のルールが多い職場で。赤やピンクは子どもが興奮してしまうから着てはだめとか。デニムも禁止だったので、基本的には黒やベージュのジャージ。先生だけじゃなく子どももカラフルな服を着るのが禁止されていたので、自分だけじゃなく子どもたちも窮屈さを感じていたと思います。子どもたちは新しいものをたくさん吸収したい時期なはずなのに、これでいいのかな? って。ギャルソンタイプのエプロンを手作りしたりして、自分なりに抵抗していました。
選択肢を広げることを肯定される居場所
——景翔さんは子育てアドバイザーとして活動されていますが、保育の現場に入ったのは中学生の頃だったと伺っています。多くの人とは異なる道を中学時代から進んだのはなぜですか?
景翔:ちょっと暗めの話になってしまうんですけど、小学生ぐらいから太り始めてしまって、150cmで70kgくらいあったらしいんです。それも原因の一つとなってすごくいじめられて、クラスメイトとコミュニケーションがとれなくなりました。それに太ったことで、着たい服も着れず、自己肯定感が下がったことで、自分に自信が持てない毎日が続いてしまいました。そこから8歳下の妹やその友達の面倒を見るようになったんですけど、子どもたちが自分自身をそのまま受け入れてくれて、「ああ、こういうことを仕事にしたいな」って。そんな折に卒業した保育園からボランティアの打診があって手伝いを始めたんです。
——学校生活とは異なる場所での経験は、景翔さんにどんな影響をもたらしましたか?
景翔:中学生の頃は、学校に行くことが嫌で嫌で仕方ありませんでした。周りとの関係も全然うまくいっていないし、校則による縛りに苦痛を感じることも多かったです。中学校は小学校より校則がきつくて、どんどん自分の世界を奪われ、学校にも家にも自分の居場所はなかったような気がします。だけど保育園でのボランティアは、「あれもいいね、これもいいね」と選択肢を広げることが肯定される場所で。そういう場所に出会えたからこそ、自分の気持ちを解放できたのだと思っています。
気持ちではなく事実に基づいた保育
——保育園でのボランティアを始めたことで、中学校とは別の、より自分らしくいられる居場所と出会えたんですね。一方で保育士として働き始めた当時は、男性の保育士が今よりもさらに少ない状況だったのではないかと思います。どうしても男性が働きづらいシステムや風潮に直面したのではないかと想像するのですが、景翔さんは保育士から子育てアドバイザーと形を変えながらも約25年も同じ領域で仕事を続けられていて。
景翔:今、男性の保育士は全体の3%です。僕が働き始めた頃はもっと少なかったと思うので、まだまだ男性が働きやすい環境は整っていないところが多いのではないかと思います。それに、お給料も決して高い水準ではないし。僕が働き始めた頃は男性が家計を支える風潮が今よりも強かったこともあって、お給料の面でも男性が働きづらい状況があったのかもしれません。でも今はだいぶ変わりましたよ。2015年に東京都で「借り上げ社宅制度」(保育士宿舎借り上げ支援事業)が始まって、保育士が家を借りるときに8万円前後の補助が出るようになったんです。自治体によって補助金額が違っていて、多いところでは13万円出る区も。さらに、「東京都保育士等キャリアアップ補助金」や、勤続年数や役職に応じてお給料が上がる「処遇改善手当」など、以前よりだいぶ改善したと思います。
——賃金を上げていくことは、個人の生活を支えたりキャリアアップを促したりすることにつながりますし、そういった動きがあるのは重要なことですね。一方で、その場しのぎの対策ではなく、保育士全体のお給料の水準を引き上げることも同時に行う必要があると改めて感じました。以前別のインタビューで、男性の保育士を不安がる保護者の方々が、景翔さんの仕事の様子を窓から見ていたというエピソードを拝見しました。個人の不安を否定することはできませんが、「男性保育士は不安」という気持ちは、裏返すと「子育ては女性がするもの」という固定観念と結びついてしまい、性役割を強固にしてしまうこともあるかと思います。そのあたりについて景翔さんはどのようにお考えでしょうか?
景翔:そうですね、男性保育士に対する不信感をはじめとして、日本には保育に関してのエビデンスが浸透していなくて、根拠よりも感覚でものごとを判断してしまいがちなことが、さまざまな問題の根幹にあると思うんです。
——エビデンス?
景翔:東京大学にはCedep(発達保育実践政策学センター)という教育の研究拠点があって、そこでは男女で育児をすることで、子どものイヤイヤ期や反抗期が短くなる研究が海外で発表されるなど、研究に基づく数字が出ているんですよね。それに「子どもの権利条約」で18歳未満を「子ども」と定義しているように、人間の子どもは他の動物と比べて成長するまでの時間が長いという事実も存在します。こういったエビデンスを知っていれば、「子育ては母親が一人でするもの」なんてことにはならないはず。一人に任せず、複数の人々で協力して子育てをする大切さに気付くことが大切だと思います。
——気持ちだけじゃなくて、事実を学んで、個人が認識のアップデートをしていくことが大切だし、それによって根拠のない思い込みで他者を孤立させることを防げるんですね。さまざまな家族の形やそれぞれの状況があるので、必ずしも常にエビデンスに沿ったベストな選択をし続けられるわけではないかもしれませんが、誰もが孤立しないための方法を身近な人たちや社会全体で考えていくことはできそうです。
景翔:そうですね。他にも2018年の調査では、女性の就業者数がものすごく増えたことがわかっています(15歳から64歳の女性の就業率が約69.9%と過去最高に。6年弱で303万人増加)。それを知っていれば、ワンオペではなくパートナー同士が平等に取り組む「チーム育児」や、家族間だけではなく地域コミュニティなども含めて「みんなで支え合って育てよう」という考え方をするのが論理的なはずなんですよね。
——たしかに。
景翔:僕は感覚的に生きている部分が大きい人間です。それでも情報をキャッチアップすることは怠らないようにしようと思っていて。大阪の出版社が『切抜き速報 保育と幼児教育版』という雑誌を発行していて、毎月必ず読むようにしています。その誌面では、全国でどんな保育や教育が実践されているかがまとまっているのでとても参考になります。今までは「子育て神話」と呼ばれるような根拠のないものが重視されていたけれど、一つひとつの間違いに対して根拠を持って声を上げていかないと、親も子どもも潰れてしまうから。
成功だけではなく過程にも目を向ける
——12年間保育士として働いてから子育てアドバイザーに転身し、積極的に発信を行われています。その一歩を踏み出す勇敢さはどこから湧いてきたのでしょう?
景翔:うーん、もちろんいろんな人や物事から影響を受けていますが、結局新しいところに飛び込む勇気って自分の中からしか出てこないと考えています。僕は「やればできるよね」という気持ちが強いので、やってみなきゃわからないなら、やらないで後悔するより絶対にやったほうがいいと思うんです。
——「失敗したくない」「完璧にやりたい」という気持ちが膨らんで、なかなか行動に移せないという人は多いと思います。
景翔:だから、挑戦することに慣れなきゃいけないんだと思います。そして、そのためには健全な自尊感情が必要になります。4歳くらいから他者との関係に興味を持つようになってくると言われていて、その時期に周りが「あなたはあなたのままいればいい」と言ってくれることで、自分を肯定し、他人を受け入れられるようにもなっていきます。逆にそういった言葉をかけられずに育つと、自分と他人と比べて劣等感を抱きやすくなってしまうので、周りの人が「あなたはそのままでいい」と言うことは本当に大切です。例えば乳児期(0・1・2歳)は、好きな色を使うことが許容されているのに、幼児期(3・4・5歳)になると突然、使う色や服の形まで男女ではっきりとカテゴライズされてしまう状況がまだあります。最近はプラスサイズモデルやリアルサイズモデルの動きがあり、体型の偏見をなくすことに繋がりとても良いことだと考えているのですが、人格形成の基礎を培う時期に、ありのままの個人を肯定していくよう改めていかないと子どもたちが自分や他者を肯定することが困難になってしまうと思います。
——自己肯定感が損なわれた状態ですね。
景翔:そう。しかも多くの人は、大人になるにつれて、成功を求める社会に放り込まれていきますよね。保育士の方々からも、成功を急ぐ気持ちから相談を持ちかけられることがあるのですが、「とりあえずやってみたら? それでどこが失敗したかを共有して、アップデートの仕方を一緒に考えたらいいんじゃないの?」と伝えるようにしています。失敗することを恐れて踏み出さなければ、自分で自分を認めることもなく、自己肯定感も高まっていかないと思うんです。そして、踏み出した後は「成功」だけではなく「過程」にも目をむけることが大事。前者は「認知能力」、後者は「非認知能力」と言われていて、これまでの保育・教育では前者を求めることに比重があったけれど、今は後者の重要性が指摘されているんですよ。これは子どもだけじゃなく、大人にも有効なことだと僕は考えています。
——景翔さんにも、失敗が受け入れられなかった時期はありますか?
景翔:常に受け入れられないですよ!(笑)でも、だんだんと折り合いの付け方を学んでいきました。好きな香りをかいだり、好きなものを見に行ったりして気を紛らわせたり。あとは、目の前にいる子どもたちから本当にたくさんのことを学ぶんです。大人は経験値が高いけれど、それゆえに正解を絞ってしまうところがある。子どもはいろんな発想を持っていて、質問をひとつすると、ひとりの子どもから10種類くらいの答えが返ってくるんですね。「その答え、先生がもらっていいですか?」ってよく聞いています(笑)。
——ひとつの質問に対して10の答えを持ってもいいのだという発想のように、もっと柔軟に自分の心の形を探っていけるようになるといいですよね。そのためには個人も社会もよりよいほうを選べるように学びながら、自分の道で失敗してもやり直すこと。そういう人の姿を周りが冷ややかな目で見たり足をかけたりするのではなく、肯定することが大切なのかなと思いました。
景翔:そうですね。失敗するのが怖いのは、失敗すると自分に価値がないように感じてしまうから。そうならないために、失敗から学びを得て自分を肯定する習慣をつけるのが大事だと思います。そうすれば、自分を他人と比較して傷つくこともだいぶ抑えられる。「どうしたら先生みたいになれますか?」って聞いてもらえることがあるのですが、その答えは「無理でしょう」なんです。それは僕があなたになりたくてもなれないのと同じ。誰かにはなれない、自分にしかなれないんです。絶対に。見た目は同じでも、心は違うでしょう。魂はその人だけのものなんです。
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歴史が長く、根源的な行為であることもあいまって、認識がアップデートされにくい「子育て」。そこに根拠をもって問いを投げかけることで、一人ひとりが窮屈にならない在り方を提案し続ける景翔さんは「子どもたちがそのままの自分自身を受け入れてくれた」という経験を支えに、活動を続けています。その姿からは、誰にも否定できない、個人のかけがえない「気持ち」と「エビデンス・根拠」の両軸を行ったり来たりすることが、個人と社会の両方を明るい場所へと導くひとつの方法なのではないかという気づきがありました。
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Diverstyle Book by IIQUAL
ジェンダーバイアスにとらわれず多様な生き方をする人々にフォーカスしたDiverstyle Book。IIQUALの服やスタイリングの参考になるだけでなく、その人の価値観や生き方といったストーリーを追った"ライフスタイルブック"です。
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