いぬは友達
私は犬を飼っている。大きくて、灰色の犬。男の子、戌年に生まれたいぬ男はこの三月、無事に十二歳を迎えた。大型犬の十二歳は人間年齢でだいたい七十歳くらいなのだろうか。元々アレルギー体質ではあったが、内臓はすこぶる元気で持病はない。けれども四ヶ月前から立てなくなってしまった、要介護犬である。そんな彼は私の家族だ。母と弟に次ぐ、私の少ない、大切な大切な家族。
私の人生の中で初めて友達になった犬は、祖母が最後に飼っていたパピヨンの男の子だった。彼はとても利口で、気が強い男の子。心臓が生れつき弱く、しばしばひきつけのような発作を起こしていた。十七歳くらいまで生きてくれていたと思う。祖母の家に泊まりに行っては彼の散歩に付き添い、また家や公園でボール遊びをした。私の家で数日預かったこともあった。友達を噛んでしまったこともあった。私もしっかり噛まれたこともあった。祖母と母が大喧嘩した夜は私が悲しくて泣いている時は横でずっと座っていてくれた。良い子だった。死んだ時私は大層泣いたものだった。冷たく硬くなってしまった身体を撫でながら、ほとんど初めて体験する家族の死に、沢山の思い出と経験を有難うと伝えた。感謝と愛が溢れた。
同じ言葉や容姿をもつ人間でも分かり合えないことは多くある。それにも関わらず、私たちと犬は、私たちのペットは、どうしてこんなにも通じ合うことができるのだろうか。できると勘違いしてるだけかもしれない。けれども私は、言葉を持たないものたちとコミュニケーションをはかることができると信じている。
大切な人生の友人、大切な家族の一員は、どうしても私たちより先に逝ってしまう。種類にもよるが、そういう動物の方が多い。
勿論甘やかすことは正義ではないけれども、残り少ないいのちの間、なるべく多くの時間を一緒に触れ合ったり、喋ったり、美味しいものを食べさせてあげたりすることはいけないことではないはずだ。ペットの話に限らずきっと人間だってそのはずだ。
けれどもうちの父親は、私がもう家族だとも思っていない実の父親は、犬のことすらそう思えないらしい。酷くなる無駄吠えの原因は私や母が甘やかすせいだと言ったようだ。ろくに家にも帰ってこない、丸一日老いた彼の世話さえできない男が何を言っているのだと私はことばを失った。
犬は友達だ。
大切な人生の友人で、時々大切なことを思い出させてくれる、言葉を持たない友人なのだ。彼らの一生を私たちは支え、また彼らも私たちを支えてくれる存在、唯一無二でかえることの出来ない存在だ。
明日もその先もできる限りの時間を、一緒に過ごしていきたいと思う。
きっと彼がいなくなったら、次に家族を迎え入れる時はいつになるか分からないのだから。
家族を増やすことは容易じゃないんだ、私にとっては。
サポートされるってどんな感じですか? でもマイペースに進んでいきたいと思います