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イムジチのコンサート(3)

昨日のイムジチの四季の演奏に感動し、今も、余韻に浸っている午後、音楽、ましてはクラシックの、素養のない私ながら今回のマルコ・フィオリーニ版の演奏を聴いて理解した事を書かずにはいられない。

今まで、同じクラシックの曲目の演奏でこれほど違う印象を受けたことはなかった。
良い、悪いではなく、手持ちの、または、今まで聴いてきたイムジチの四季とは、全く違う曲に感じたのである。もちろん、四季であり、春夏秋冬を演奏しているのだが、音の強弱、伸ばし方、間の取り方の違いなのか?わからないけれども、音階が違って聴こえたり、曲の流れがアレンジされているように聴こえ、まるでジャズのような自由さを感じたのである。

とにかく、今までの四季とは、何か違うスパイスが散りばめられているような演奏に聴こえた。

昨日の演奏と同じアレンジのCDを買って家に帰り、ロベルト・ミケルッチや、フェリックス・アーヨ版のレコードと聴き比べでも、はっきりと違うのがわかる。カミさんも、一階から、これ昨日のバージョンでしょと言い当てた。

マルコの母は、初代のイムジチのバイオリン奏者だったらしい。世代が変わっても、良い伝統を引き継いで行く事ができる素地がイタリアの音楽会にはあるのだろう。そもそも、バロック時代のビバルディの作品が今も新鮮であり、そして世界中で愛され続けている事が奇跡である。

そして、それを演ずるものの表現で、また、違った味わいを経験する事ができる。なんとも奥深い、楽しい世界なのだろう。

暫くの間、ビバルディの四季にハマり、秋の夜長を過ごす事としよう。