新作!長編ラブコメ「二面性(リバーシブル)女との恋愛は期間限定」――プロモーション短編小説
館花佳織
夜に灯る街灯の間を紅蓮の車が走り抜ける。車内はムスクの甘い香りが漂っていた。こんな良い車で、素敵な彼氏がいてくれるなら、私はもっと喜んでいるべきなんだと思う。でも、私はそう思えなかった。
「あそこは羊肉の丸焼きをスライスしてくれるんだよ」
「そうなんだ」
私は運転する彼――縣帝に微笑み、あいづちを打つ。
「今度連れて行ってあげるよ」
「いいけど……」
私は苦笑で濁す。
「けど?」
帝は怪訝そうな顔になる。
「さっき食べたばかりなのに、また食事の話してるなと思って」
帝は眉尻を下げて微笑する。その笑顔はシックなジャケットと大人のたしなみを心得ている帝によく似合っていた。
「ああ……ごめん、つまらなかったかな?」
私の顔を気にしてるけど、運転してるのもあって、もどかしそうに黒目がチラチラとバックミラーに向いている。
私は首を振った。
「ううん、ちょっとおかしかっただけ」
「そっか」
「期待してるね」
「佳織の舌に合うかどうかは分からないけどね」
「帝の薦めてくれるところは、だいたいおいしいから心配する必要ないでしょ」
彼は少し照れた様子で唇をゆがめ、笑みを零す。
車は私の自宅前に止まった。セキュリティのしっかりしてる十二階建てのレディースマンション。口うるさい父が納得してくれたマンションだった。
「今日はありがとう」
「また連絡するよ」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
私は車から降りて、ドアを閉める。窓越しの帝は微笑んで手を振る。私は手を振り返し、走り去る車を見送った。
私は作った笑顔を剥がし、沈んだ素顔を夏の夜風にさらした。
車は坂を下り、見えなくなった。夜に滲んだ街並みの小さな光が牡丹のように咲いている。
私はマンションの玄関へ足を進めた。
彼とは合コンの席で出会った。
付き合い始めて一ヵ月経つか経たないかくらい。この先、どうなるかは何も決まっていない。だけど、これまでの私の恋愛遍歴から予測してしまうと、きっと、この恋も終わる。
原因は、たぶん私だ。理想が高い。私はそう思ってないんだけど、高校の頃から付き合いのある友達に言わせれば、私は理想が高いらしい。
いや、私は最低限のことを求めているだけ。それくらいしてもらわないと、付き合うとか、結婚とかできない。これから何年も一緒になるかもしれない人と過ごしていくなら、私はしっかり見極めたい。
私も二十九歳になった。周りじゃ結婚してる同世代の子もザラにいる。この前は職場の後輩の結婚を祝った。
そういう時、なんだか妙に焦りを感じてしまった。私、これでいいのか? なんて必要もない心配をするのだ。
分かってはいる。焦ったって何も解決しないのは。でも、一度くらい結婚してみたい。好きな人と家庭というものを共有してみたい。そんなありきたりな幸せを夢見てる普通の女だ。
☆
私は自分の部屋のドアを開けて中に入る。絡みつくようなヒールを雑に脱いで、重くなった足を運んでいく。
息を落とし、二人掛けの鮮やかな水色のソファに腰かける。肩にかけていたバッグを外し、肩を回して首を左右に傾けてストレッチ。骨が弾む小さな音を立てる。
前にある乳白ピンクのローテーブルに目を合わせれば、左にエアコンのリモコンとテレビリモコンが綺麗に並び、右端には昨日夜遅くに取った郵便の書類が開かれずそのままになっていた。
昨日は旅行客の受注の手配に追われて遅くなったのだ。帰る頃には二十三時を回っていた。慌ただしい一日を終えた後は眠気と疲弊感が合わさって、シャワーして食事するくらいの気力しかなく、郵便受けに入っていたものをしっかり確認する余力はなかった。
ただ、ハガキであれば、そこまで多い内容は書かれていなかったから、自分の部屋に行くまでに読むことができた。
私は部屋着に着替えようと、ウォークインクローゼットの扉を開いた。
ゆっくりできる夜。携帯の画面に視線を落として友達とチャットする。
宮本未久。胡蝶蘭子。高校時代から付き合いのある友達だ。二人にも合コンのセッティングをしてもらったりした。
友達の紹介で付き合いましたみたいな流れ。私が恋愛に悩んでいることを知って、色々手を回してもらった。
二人は数少ない親友だから、自分のこともさらせる。だから納得いかない人でも我慢して付き合おうと思った。けど、二ヵ月もすれば別れていた。
私がフッたから、自業自得かもしれない。しっくりこなかった。仲良くなっていけば、自然と素が出てしまう。言いたいことも言いやすくなる。
そうして恋愛は進んでいくんだと信じていた。そう思っていた高校生の私。ほろ苦い経験だった。社会に出れば、さすがに私も学んだ。自分の性格は男ウケしないって……。
そのために素を隠した。だけど、男に媚びるようなマネはしたくない。そんな柄でもない。
自然にやれって言われても、甘えるような仕草とか口調とか、自分がやってる姿を想像してしまい、自分に嫌気が差してくる。最大限譲歩して、できるだけ愛想のいい自分を作った。
人付き合いで悩むことはなくなった。でも恋愛となると話は別。それが分かっただけでもいい授業料を払ったと思えるのかもしれない。
私が作った愛想のいい自分と、こだわりを持って幸せな未来に妥協したくない自分とがぶつかって、心が迷っていく。社会人になってから、男の人と付き合っても心の底から本気で人を好きになれなかった。
未来を想像できない。どの人もそうだった。今まで付き合ってみた人に惹かれなかったのもあるだろうけど、
きっと私の描く理想の男性像っていうのが、現実離れしているんだろう。妥協して妥協して。そうしていけば付き合えはしたけど、長続きしない。
ならいっそのこと、理想を求めてみようかとなり、人脈の広い職場の後輩のツテに頼り、合コンをセッティングしてもらった。そこで出会ったのが、縣帝だった。
合コンに来た男性はみんな何かしらハイスペックな経歴を持つ男性だった。政治家の私設秘書、医者、国際弁護士。そして、ゲーム会社の社長。帝はまだまだの会社だって言っていたけど、ゲームをほとんどやらない私でも知っている会社だった。
かなり収入を持っていると思っていい。レディファーストでおおらかな性格、懐も深い。コツコツと自分の夢に向かって進んできた堅実な彼だから、私はやっと好きになれたんだと思う。
それから付き合いが始まって、私は少しずつ彼のことを考えるようになった。そして、怖くなった。幸せすぎて怖いとか、そんなロマンチックな話じゃない。
今まで私の素を見てきた男は一様に怯えてしまった。
そう、引かれたのだ。
そんな風に怯えられたら、もう少しで燃え始めそうな恋でも不燃に終わる。こんな男と私は一体何してるんだろう、って馬鹿馬鹿しくなって、別れたそうな彼に代わって仕方なく私が別れてやった。
すんなり別れられたのは、愛だの恋だのを持ち出せる相手じゃなかったからに他ならない。でも、今の彼氏、帝との付き合いは、大切にしたいと思えた。だからこそ、私の素を見た時に、彼が離れてしまわないかと怖くなった。
いずれ私の性格はバレてしまう。たとえみんなから好かれる愛想のいい私でいたとしても、月日が経てば経つほど、私のことを知っていくことになるはずだ。
彼の前でみんなから好かれる私を演じたとしても、いつかバレてしまうことも考えなければならない。そんな器用な人間ならとっくに結婚してる。帝なら、こんなガサツで変に我の強い私でも受け入れてもらえると信じたい。信じたいけど、やっぱり不安だった。
私は、帝のために何をしてあげられるんだろうか……。私が、みんなから好かれる私を演じれば、それが帝のためになる……? 本当にそうなんだろうか。
いつかは、さらけ出さなきゃいけないんだろう。本当の、館花佳織を知るべき権利を、帝は持ってる。
私はチャット画面を表示したままの携帯を置き、伸びをする。
飲みきったミネラルウォーターをゴミ箱に捨て、ついでに横に長い棚の前に向かう。
棚の上には十二型の薄型テレビにスマートスピーカーがあり、扉のない下の棚――二段になっている棚の上にはアクセサリーが入ったケースや化粧ポーチが入れられていた。
私は棚の前にしゃがみ、一番下の段に並べられた本に手を伸ばす。しっかりした装丁と厚みのある本。二十一年度、雅高校の文字が入っている。私が卒業した高校だ。
近々同窓会が開かれるらしく、未久と蘭子とさっきまで話題にしていた。
私はアルバムを開く。懐かしい先生の顔があった。だけど、公式的なものじゃないから先生と会うことはないらしい。毛量のすごいあの先生、名前は……そうだ。室嶋先生。クセっ毛の強い髪なのに、なぜか長い髪を維持していた。
クセっ毛もそこらのクセっ毛じゃない。天然のボンバーヘッド。あの人に頭髪検査をされているとなんだか腑に落ちない気持ちを持て余していた。
体育祭に文化祭、マラソン大会に修学旅行。若かったあの頃の私達が写真の中で華やいでいる。ページをめくっていくと、私が三年生の時にいたクラスの顔写真がずらっと並んでいた。
すごく懐かしい。美和子に神本君、静香と前田君、この2人は付き合ってたな。クラスでもいろんな意味で有名だった。
当時のクラスの雰囲気とか、顔ぶれを思い起こしていた。この写真の並びは出席番号順かな。……ん?
ふと、一番左上の男の子の写真に目が留まった。パッとしない顔。青野亨二……。
「……誰だっけ?」
私は思わず顔をしかめて呟いた。
☆☆
「べっくしゅん!」
突然、俺の全身を妙な寒気が襲った。
もうすぐ8月が終わるとはいえ、気温はまだ夏の勢いが残っている。夜でも汗ばみ、今もジメっとする肌に不快感がまとわりついていた。
俺の部屋で冷風を感じさせるものは起動していない。感じられる冷感の可能性があるとすれば、網戸の向こうから入ってくる夜風くらいなはず……。テレビに映るアニメの音が妙な気配を中和させようとしてくれているが、俺に襲った体の異変がまだ二次元に戻そうとしない。
「なんか、嫌な予感がする」
俺は自宅にいるにもかかわらず、変な不安にしばらく悩まされた。
一ヵ月後、俺の予感はあながち外れてはいなかったと、思い知ることになるのだ。
本編は1月31日23時にアルファポリスにて公開。