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たったひとりで、突然消えたあの子

※今回の記事は、私くろみ個人の話であり、大人の発達障害のテーマとはズレた内容になっています。
それでも良いという方はどうぞ。




最近、芸能人の自殺が連日ニュースを賑わせている。

たとえ大ファンでなかったとしても、
彼らの出たドラマや映画や舞台が好きだったり、CMやバラエティで見ない日はないくらいのタレントだったから、少なからずショックを受けているのだろうと思う。みんな。
(一番辛いのは彼らの周りの親交があった人たちであり、彼らのプライベートを探ったり晒したりすることはもちろん断じてしてはならない)

突然身近な人が死ぬ。私にもその経験がある。
そしてその死は、少なからず私のせいである部分がある(と思っている)

「死」に対し世間が敏感になり、関心を集めている今、
こういった発信は何か意味があるのではないかと思い、
彼女の死について書いてみようと思う。

というのはきっと建前で、
本当は自分自身の罪と向き合いたいから。
向き合えないと前に進めないと思っているから。
だと思う。





今から○年前、大学生だった私はサークル活動に明け暮れていた。
歴史のある演劇サークルで、リーダーだった私はプレッシャーもありつつも充実した日々に忙殺されていた。

徹夜の作業が終わり、部室で仮眠を取っていたとき、幼馴染からLINEがきた。久しぶりのLINEで、胸騒ぎがしたことを覚えている。

「A子が亡くなったらしい」

その文面を見たとき、あーー今日は休むってサークルに連絡入れなきゃなーなんて、実感がないながら妙に現実的なことを思った。

A子は私の幼馴染であった。
彼女は背が高く、昔から評判の美少女であった。
おまけに頭もよく、全国模試では必ず名前が順位に載っていた。

そんなこともあり、どちらかというとクラスで浮いていた私は、同じ学校ながら学校ではつるむ関係ではなかった。しかし家が近く、塾や習い事も必然的に同じ教室に通っていた。家族ぐるみで付き合いがあり、互いの家にもよく遊びにいった。猫を飼っていて、引っ掻いてくるのではと小さい私はとても怖がっていた。

ご両親美男美女で、「遺伝子つよ〜」と彼女をからかったことを覚えている。彼女は本当にそう思っていないような苦い顔をして「いやいやいや〜」と首を横にぶんぶん降っていた。

綺麗で、勝ち気で、優秀なA子。
私は彼女に、憧れと尊敬の気持ちを抱いていた。


彼女に異変が起こり始めたのは、高校3年生のとき。

高校3年生、受験生になったとき、彼女は体調を崩し始めた。

塾で泣きながら教師と口論し、何度も教室を飛び出した。

「塾が私のやり方で勉強させてくれない、無駄な授業を受けさせてくるんだ。何も分かってないくせに」

そう彼女は言っていた。彼女ほど勉強のできなかった私は呑気にも、「頭のいい人は大変だなあ」と思っていた。
彼女は塾を辞め、その数カ月後、病院に入院した。


入院してから1,2ヶ月。
面会はできないと言われていたため、お見舞いに行ったのは彼女が入院してからしばらくたってからだった。

そこにいたのは、彼女の大きく変わった姿だった。
すらっと背が高くモデルのようであった彼女は、入院生活により太り、印象が大分変わっていた。私たちはそのことに敢えて気付かないように、触れないようにしていたと思う。
「変顔して写真撮ろーよ」と言って、何枚もコミカルな写真を撮った。


彼女はその後、病院を転々とするようになった。
その理由は、何度も自殺を図ったからである。

彼女は賢く、薬品などに対する知識が豊富にあった。
彼女は身の回りのものだけで、いとも簡単に死ねる方法を見つけることができた。

そのため、より自由の効かない、安全管理の徹底された病院に転院することになったのである。

当時受験は佳境を迎えていて、私はしばらく彼女の元を訪れることができなかった。自分のことに集中しようと、敢えて思い出さないようにしていた。

そして受験が終わった頃、ようやく彼女の元を訪れた。
彼女が入院している病院は都心から外れたところにあった。お金がなかった私は、家から自転車で1時間かけて向かった。

病室は、5畳ほどの狭い部屋で、ベッドとトイレが同じ空間にあった。
「危ないことできないようになってるの」
と彼女は言った。
ハサミなどの刃物、紐類も持ち込めないようだった。
私は、彼女が以前褒めてくれたジンジャークッキーを作って持っていった。狭い病室で、ベッドに座って一緒に食べた。

私が彼女と会ったのは、これが最後だった。

彼女の死の連絡が来た時、
彼女をよく知る友人と新宿のファーストキッチンに集まることになった。

誰も信じられない様子で、
「え、ほんとうに…?」と顔を見合わせるばかりで、
何の生産も生み出すことができなかった。

彼女のお葬式に友人は呼ばれず、彼女の家族はその直後、
家を売って引っ越していってしまった。

あれから何度か彼女の家を訪ねたけれど、
彼女のお母さんがずっと笑顔だったことを覚えている。
心が止まっているってこういうことなのかも、と思った。
猫は前と変わらず、自由に歩いていた。

今でも彼女のことを考える。もっと私にできることがあったと強く思う。
一方、では現実にできたかと言われると、今でも疑わしく思う。

私は、彼女のことを心配しながらも、見てみぬふりをしていた。
彼女とのLINEなどのやり取りに疲れてしまっていた。

共通の友人とこんな会話もした。
「A子のTwitter最近みてる?」
「うん、大丈夫かな…」
「あんまり見すぎないほうがいいと思う。引きずられる。自分を大切にしないと」

彼女のTwitterは、ODした薬のことや、病院の医師への思いなどが語られていた。正直、私の知っている彼女とはかけ離れた姿だった。そしてそれが、当時の彼女の(一部分でしかないが)本当の姿だったのだと思う。

彼女が亡くなる2日前、共通の友人とのグループラインで彼女は言った。
「同窓会しようよ!」
それが彼女の最後のヘルプサインだったのだと思う。
私は、既読を付けたまま返信しなかった。
彼女が亡くなったのは、自分のせいだと思った。

過去は戻らない。
でも、過去から逃げてはいけないと思ってこの文章を書いた。

ずっと私は彼女のことを考えながらも、思い出さないようにしていた。
自分を正当化していた。

けれどきちんと向き合って、自分がしてしまったことへの罪悪感を一生抱える覚悟をしなければいけないと思った。
生きるということは痛みを抱えることだと思うし、それが生きている人間の義務だと思う。向き合わなければ今後大切な人を守ることはできない。

結局自分のためにこの文章を書いているので、相変わらずの自分の身勝手さに恥ずかしくなるのだが、とりあえず考えられることはここまで。
少し休憩して、再度また、向き合いたい。