委員長とメール投稿と日常と。
おはこんばんは。今年も比較的運が良いと自分の中では思っているただの委員長です。
今日は(といってもこれを書き始めたのは7月中旬ですが)、昨年9月から始めたメール投稿とその他諸々について、色々と感じたことを記していこうかな。と思います。
1.メール投稿がバリ楽しい件
見出しから何言ってんねんと思うかもしれませんが、これが昨年9月からメールをしっかり送り出したここまでの感想です。楽しい。とにかく楽しい。それは僕自身が何かふいに話題を作り出すのが好きな性格であるというのもありますが、メールを考えることで、毎日の生活に花が添えられている。そんな気がしています。
そこでまず、細かく自分がメールに対して「これだけはこだわっている!」という事の分析をしてみました。
①送るのは基本的にふつおたと曲リクのみ
これはずっと揺らいでいません。というのも、僕は突発的に反応するということが超が付くほど苦手で、すぐに思ったことを言語化する能力が皆無に等しいです。おまけに、タイムちゃんや沈黙の金曜日、レコメンといったリアクションが多いラジオがある日は、大学生活でクッタクタになっており、完全に思考停止状態です。そして、脳内はこう思っています。
「眠いとよ。はよ寝かせろ」
なので、リアクションメールが要求されるラジオではリアクションは送らず、人のネタを聴いて、時には笑い、時には疲れたまま寝るといったような感じですね。ただ、唯一「おとなりさん」だけは学校に行く途中で聞いていたり、朝なので脳も冴えてるのでリアクションは送ってますね。
②パッと思いつくものだけ送る
確かにメール投稿は楽しいですし、その考える時間に脳を動かしたり、文面を推敲する時間に意味があるのかなとここ7ヶ月で感じました。
ただ、僕は大学生。学業が疎かになってしまっては本末転倒です。なので、「これいけるな」とか、「これはちょっとひねれば何かアイデアが浮かぶかもしれない」というメールテーマにしか送らないようにしています。実際、らじらーはそんな感じです。なので全てのコーナーにしっかりとメールを送れる人は本当に尊敬していますし、その知恵を分けて頂きたいぐらいです。
③採用よりもクオリティ
これを書くとあまり良い気分に思われる方もいないかも知れません。なぜなら、一般的にラジオというのは採用されなければ、人から共感の声を得られることもなければ、自分が積み上げた努力として昇華されることもないからと思うからです。
でも、それは違うなと僕は感じています。これは僕自身だけの考え方かもしれませんが、やっぱりこれをやることの意義は、自分の思考力を発展させ、社会生活に活かしていくことであると僕は感じます。それを現に表しているのが、アルバイト先のスーパーでの接客であったり、大学のゼミで行われる発表会で意見を求められたときにパッと意見を出すことだと思っています。
なので、とにかく自分がメールを書き、軽く文体の体裁を整え「これだ!」と思えるメールを突発的に書けるようになればそれで良いのかな〜。と常々感じますね。
以上3つ、これは多分ブレないですね。いや、ブレてはいけないと思う。本当に。
2.メールを送って、心の底から嬉しかった事。
ありがたいことに、上半期は自分でも予想外なくらいのメールを採用して頂き、欲しかったラジオのノベルティも頂きました。
それでも、僕が1番嬉しかったのは、とあるリスナーさんにお褒めの言葉を頂いたことです。
その人物とは、僕が福岡県のらじらーリスナーとして、聴き専時代から尊敬していた「週間チャライデー」さんです。僕がらじらーにメールを送るきっかけになった方でもあります。
らじらーを聴き始めた3年前からその名前は耳にしていたし、ネタがとにかく秀逸!「ああ、いつか俺自身もこんなリスナーになりたいな〜」とずっと思っていました。そして、Twitterを初めた昨年、すぐにアカウントを見つけて、「すごい…これがあこがれ続けた人の…」
以後、いつか週チャラさんと絡める日が来れば良いな。と思いながらずっとメールを投稿していました。最初はもちろん何通送っても採用されません。それでもめげずに送ったら次第に何通か採用されることも増えてきて、ある日、週チャラさんと連番(RNは委員長を使っていませんでしたが…)した時もありました。ブログにも載ったので心の底から「やった!!!!!!!」と喜びましたね。
ただ、それだけでは終わりませんでした。
6月26日のらじらーで、ありがたいことにこの日は3通も読んでいただきました。確かその時の2通目で読まれた時のリプに、このようなメッセージが!
これを見た時は流石に心の底からガッツポーズが出ました。嬉しかったですね。まさか2年前から尊敬していた人から直接メッセージを頂けるなんて。自分は幸せ者だと感じたと同時に、どんな時でもらじらーにはちょっとでもメールを送っていた自分を褒めましたね。今も少し元気がない時は「お前はこんなに素晴らしいリスナーさんから直接誉めてもらったんやぞ!もっと頑張りんしゃい!」とこれを見て自分を奮い立たせています。
週刊チャライデーさん、あの時は本当にありがとうございました!
3.失敗した事。
確かにここまでの段落では、非常にポジティブなことしか記していませんが、もちろん「これはしまった」と思ったこともあります。そう、例の「フォーム変更問題」です。当時は野球RNが「固有名詞」と捉えられ、それが原因だとか、ノリが嫌いと多く思われていた方が多い(今もそれは変わってないと思います)と思います。
あの日の夜のことは僕は絶対に忘れないですね。僕は自分自身に責任があると感じたので、次の日の朝は早かったですが、他のリスナーさん一人一人の意見に目を通させて頂きました。
当然、叱責や罵声といった趣旨のメッセージが圧倒的で、僕自身も悔しくなって、「何がおかしいっちゃろうか?」とその1週間は四六時中考えていましたね。あの1週間上半期で1番苦しい1週間でした。趣味で悩むことが1番辛いことだと思うので。
でも、幸いな事に、僕には頼れるリスナーさんがたくさんいました。その人たちに色んなことを教えて頂きました。
「それだけが原因じゃない。昔からこんなことはあった。」
「俺は委員長のああいう雰囲気のRN好きやけどね。」
「自分のRNで真っ向勝負しても良いんじゃない?」
おかげで、翌週にはすぐ考え方を切り替えることが出来ましたし、新しい形でのRNも思いつきました。またここでもリスナーさんに頼ってしまいましたね。でもそれが嬉しかった。改めてリスナーさんは大切にしていかないとなと感じる出来事でもありました。
そして、あの時に不快に思われた皆様には、こういった形にはなりますが、深くお詫び申し上げます。
4.今後
最近、ふと思うことがあります。
「いつまでラジオリスナーでいられるかな?いつまで自分が大好きなものを自分が思うままに追っていられるかな?」
どうなんでしょうね。恐らくこれを作り終わるであろう7月18日の段階では答えは出ていないはずです。いや、むしろそんなことを考える余裕はない(テスト勉強の休憩時間にちょっとずつ作っていたので)。
でも、あと3年は離れないかなと感じます。なぜなら自分が大好きな福岡ソフトバンクのハマり方と同じだからです。プロスポーツというのは、そのチームが無くならない限り、ずっと続くものであるし、未来に向けて進化していきます。それが好きでここまで16年ファンでいる訳であって。
ラジオも一緒だと思います。それを象徴するのがradikoとANNのサブスクだと思います。これを10年前のリスナーさんが知ったらどう思うでしょうか。確実に羨ましがられるはずです。
時代は進歩してきます。そしてそれと同時に規制も厳しくなります。
でも、趣味を楽しむ事は、法を犯さない限り、どんな形でも好きでいられるはずです。先ほどの文章の後ろ部分は守れないとしても、好きなものは好きでいられる。それは不変なはずです。
だから、これからもこのラジオリスナーとしての自分をもっともっと謳歌していきます!そうじゃない自分は想像できません!!!
もっともっとラジオを楽しむばい!!!!!
(今後ともリスナーの皆様にご教授させて頂く機会が多いはずです。こんなしょうもない大学生リスナーをよろしくお願いします。)
2022/7.11〜18
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