約束。
春といえば別れの季節だ。出会いの季節というよりも別れの季節という方がしっくりくるだろうか。
それを体現するかのように、僕の母親は今年も新たな土地に転勤し、父親は職業柄か教え子さんに「〇〇先生、お疲れ様でした!」といったようなお花や寄せ書きを持って帰ってくる。
これは例年の事だ。流石に見慣れている。
しかし、今年の春はそれだけでは終わらなかった。
先日、祖父が他界した。85年の生涯だった。
先日の日付が変わった頃、実家に帰省していた父親から電話がかかってきた。この時間に電話がかかってくるということは「そうか」と覚悟を決めて着信を取った。
ついこの前会いに行った時はまだ元気だったのにと、驚きと悲しみを隠せなかった。
だから、未だに嘘だと信じている自分がそこにはいた。
ふと思い返せば10年前、祖父とこんな会話をした。
「〇〇は、大きくなったら何になりたいか?」
「ん〜、そうだね。まだ具体的には決まってないけど、今住んでる場所が田舎で、どんどん人が居なくなってるから、町を活性化させるお仕事がしたいな!」
「そうか。〇〇なら絶対出来るから、勉強をもっともっと頑張りなさいよ。じいちゃんは鹿児島から応援してるから!」
あれから10年後、先月帰省した時にもほとんど同じ会話をした事をよく覚えている。その時は、病に侵された体で、こう語ってくれた。
「学生生活は一度きりだから、もし〇〇がまだ学びたいことがあるのならば、その選択肢もありではないか。」
2人の息子を大学院まで学ばせた祖父の経験談がよく分かる話だ。すごく納得した。
あれから1ヶ月少々。まさかこんな形で祖父との最期を迎えるとは思わなかった。そして、私自身直系の親族が亡くなった経験というのは初めてだ。実際、お葬式でも言葉が出なかったし、これは現実ではない、嘘だ夢だと自分に言い続けた。
でも、それは紛れもない事実。大好きだった祖父はもうそこには居ない。
葬儀場に泊まった夜、1人で祖父に語りかけた。
「ねえじいちゃん、結局10年前の問いの答えって何だったの?教えてよ。」
もちろん答えてはくれなかった。その時に、瞳から溢れた涙でようやく実感した。
ある時「別れなんていつ来るか分からない」と言っていた誰かの言葉の意味を深く理解出来た。
でも別れってなんだろうね。分からないよね。
悲しいこともあれば、応援したいこともあるような気もするから。
でもいつか「人生の別れ」は来るんよな、
もしかしたらまた再開できる別れかもしれないし、今回のように2度と会えない別れかもしれない。
その時、出来れば笑顔で「ありがとう。また。」と伝えられる人間になれればいいな。
じいちゃん、ごめんな。もう少しで就職した孫の姿を見れたのに。本当にあとちょっとだったのに。
昔から僕の趣味を否定せず、一緒に楽しんでくれたね。電話するたびにホークスの勝敗の話ばかりだし、もっと小さい頃は電車の話も沢山したことが未だに忘れられないかな。あと、いろんな所に連れてってくれたよね。山形屋、鹿児島の市街地、動物園、プール、全部覚えてるよ。
当時は大分に住んでて、僕自身鹿児島にはあまり行けず、中々孫に会えなくて最後まで「本当に申し訳ない」という気持ちで僕は一杯になっています。
でも、それでも僕は鹿児島に行ったら、じいちゃんとばあちゃんが明るく迎えて「身長おっきくなったね!」とか「かっこよくなったね!」とか褒めてくれて嬉しかったよ。
生真面目さ、旅好き、目立ちたがり屋な部分も遺伝かな。いや遺伝だね。絶対そうだわ。
この前、最後に会えてよかった。ばあちゃんと3人で写真が撮れてよかった。
これからは、桜島よりももっと高い空の上から僕を見守ってて。約束よ!!!
ありがとう。じいちゃん。
10年前の約束、絶対叶えるから待っといて。
2022/3/24
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