映画「フォードvsフェラーリ」 男たちが常に何かを飲んでいた理由(2020.1.17)
映画「フォードvsフェラーリ」見てきました。
なにもかもが
あるべきであった!
悪役はとことん憎たらしく
1つ乗り越えたそばから新たな障害が現れ
勝利はどこか苦く
友情最高
脚本も
俳優も
映像も
衣装から何から
すべてが「うまい」・・・。
ということで
100%安心して楽しめます。
迫力満点、感情の動かされ方も満点
という映画でした。
この映画は昔(1960年代)の車のレースの話なので、
主人公2人もメカニックの人も
みんな男性です。
そして、この映画中、
男たちは始終何か飲み物を飲んでいる。
整備中、素朴なホーローのマグでコーヒー
煮詰まった会議ではグラスの水
夜中に妻が持ってきてくれたお祝いの瓶ビール
重役だけが飲める社長室のバーのウイスキー
レースでの緊張をほぐすための紅茶(←英国人)
レースの行方を見守っている時もコーヒー
ケンカしたら仲直りのpop(コーラ)
各シーンに違和感はないのだが、
思い返すと
「やたらみんな何か飲んでたな」
という印象がある。
長年ハリウッドで作品を作ってきたジェームズ・マンゴールド監督が
何も意図せずこんな演出する訳ない。
思うに、これは
【緊張と緩和を観客にも体感させるテクニック】
であるとみた。
緊張すると喉が渇く。
本当に渇いている(水分が足りない)というよりも、
そんな「気分」になる。
何か飲みたいなと思う。
その味と飲み下した感覚が、不安な考えを一瞬忘れさせてくれるのではないかと思う。
渇いて不安な心が潤されるのではないかと思う。
だから、映画の中で登場人物が何か飲んでいると
観客も映画の中の人物と一緒になって
「ああ、喉が渇いた(緊張)」
「そして今その渇きが癒されている(緩和)」
と、感じることができるのである。
感情だけでなく、肉体的にも共感できるわけである。
ていうか、観客に意識させないまま
観客の心を映画に参加させ、映画と一体化させようという意図があるんじゃないかなと思う。
私たちは、彼らが飲んでいるものの味を知っている。
(アメリカ映画だからね)
彼らが
コーヒーや
お酒や
コーラを
ごくりと飲むたびに
私たちもその味を脳内で想像する。
そして自分たちが見ている映画の中の緊張を
一緒にほぐしている。
渇きが癒されるのである。
映像ってずるいわーーーー!!(笑)
文章だったら、さりげなくもしつこく
「〇〇を飲んだ、食べた」
と描写を入れるところだろうか。
演劇でも食べたり飲んだりするシーンには
意味が込められるし
堤幸彦監督もドラマや映画で
過剰な飲食シーンをよく使う。
日常生活でも、一緒に食べたり飲んだりすることって
とても意味のある、大事なことですからね。
・・・って、
この映画の主なスポンサーが飲料メーカーでしたっていうオチだったらどうしよう(笑) そうだとしても成功してるよその演出。コーラっていいよね(←映画見ると分かります)。
「フォードvsフェラーリ」
全方位的に良い映画です。
1人でもファミリーでもデートでも後味いいやつ。
気になる方はぜひ!
▼「フォードvsフェラーリ」公式サイト
http://www.foxmovies-jp.com/fordvsferrari/
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