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ファティグマの観測地点

あれが落下してきたんだか隆起してきたんだかは誰も観測していなかったらしい。見事に誰もが外の事なんて一切意識しない午前四時頃の出来事だったようで、まるで意図的に人の意識の隙間を狙いすましたかのように感じる。

うねうねと捻じれ絡まるそれは植物のようにも見えるし、その硬質で所々キラキラと光を返す表面は鉱物のようにも見えた。だがどうやら生物であるらしい。それはもちろん植物も生物ではあるのだろうが、それよりももっと生き生きとして生々しいタイプの生物なのだ。彼なのか彼女なのか、そもそも性別を持つ生き物なのかはわからないが、「それ」と表すことはあまり褒められたことではないかもしれないので避けるべきなのだろう。

三日前に突然ここに現れたその生物に現地の人間はファティグマという名を付けた。もともとこの地方で崇められていた神性の名らしい。とにかく巨大で泰然としたものには自然と畏敬を抱くものらしい。何をするでもなく、ただそこにあるだけで神の名を与えられた彼の者を、私は羨むべきなのか同情すべきなのかと少し考えてしまった。再来月産まれる我が子に妻が天使の名を付けようとするのであれば、しばらく説得する必要があるかもしれない。

軽食にと出されたやたらとベタベタするクランペットらしき何かにクロテッドクリームをこってりと塗りつけたものを苦労して飲み込みながら、ぼんやりとファティグマのてっぺんを見上げている。幾条にもわかれたその先端のひとつが時折うねうねと動いているのは自発的なものなのか、それとも風にたなびいているものなのか。既に雲に至らんとするほどに巨大な威容をして、いまだ伸びようとしているのかもしれない。
そう考えるとぞわりと首筋に怖気が走る気がする。今はただその場にそびえ立っているだけの樹木のように思えるが、ひとたび自由に動き始めたら?
ただその質量をゆっくりと押し当てるだけで、いかに頑強な砦だとしても簡単に押し流されてしまうのではないだろうか。私は観察のために派遣されてきただけではあるが、のんびりと記録を取っている間に取り返しのつかない一線を超えてしまうのではないだろうか。ああ、いっそここに現れた時と同じ様に、誰も気付かぬ内に消え去ってくれないものか。

幾人かの村人がファティグマに向かって祈りを捧げていた。
どうやらその名前はこの地では豊穣神としての様相を持つものらしく、信心深い農家のご隠居達が連れあって拝んでいるらしい。たしかにこれほどに逞しく、雲を掴まんとする程に屹立するあの姿は、特に信仰心を持たない私ですらも何か圧倒されてしまう。古代の人々がこうした物を目にした時に神として崇め、そして名をつけた理由がわかる気がする。もしくはこのファティグマこそが、確かなる神というものなのかもしれない。

秋分の陽が沈もうとしている。どこまでも伸びていくファティグマが地に落とした影が夕闇に紛れると、その存在の不確かさがより不気味に感じた。
観察の為にいくつもの篝火を煌々と炊かせてはいるがその明かりは中腹にも届かず、その先の闇はその存在だけを明確に伝えてきている。
風の無い不穏な夜。ぎしりぎしりと何かが軋むような音だけが時折聞こえている。やはりファティグマは生きている。そして、未だ活動をしているのだ。おそらくは更なる成長を。その目的も、行く末も我々に告げぬままに。

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