橋本晃司との4ヶ月
こんにちは。
きょうは「見えざる戦い」の日々を過ごしたベテラン選手について触れようと思います。かなりの長文ですが、できればお付き合い下さい(笑)。
■真綿で首を絞められるような4ヶ月
3月27日。その日でハッピーエンドを迎えるのですが、そこに至るまでの4カ月間は長く、時間が経過するにつれて、真綿で首を絞められるような感覚を味わいました。世の中にはもっとツラいことや苦しいことはあるし、取り返しの付かないことも多々あります。それでもトンネルの出口はあると信じているし、彼の例も〝心の支え〟の一つになっています。
彼の名は橋本晃司。
今季J3盛岡に加入が決まった33歳です。
始まりは19年12月16日でした。
USLオレンジカウンティーを退団した橋本はJ合同トライアウトに参加しました。アメリカでの2年間のプレーに区切りを打ち、J復帰を目指したからです。ボランチの位置から飛び出して1得点。元々の技術は高い上に彼は決してJ1クラブを希望していたわけではなく、J2ならば…というスタンスでしたから、僕自身も彼を欲するクラブはすぐに現れるだろうと考えていました。そんな楽観視を象徴するかのように、前日夜に千葉県内のホテルレストランで彼と食事をした際には「前祝いだな」と互いに軽口を交わし合っていたものです。
■移籍市場の需要と供給
ですが…年内に届いた話はゼロ!!
とはいえ、移籍市場にも波があります。大まかに言えばXmas前までが第一波(主力級の争奪戦)、年内駆け込みが第二波(争奪戦に敗れたクラブが活発に動く時期、またJ2クラブ)、年明けからチーム始動までが第三波(欠落ポジションの穴埋め、J2やJ3クラブ)。橋本も理解している部分はあり「早く決めたいですね」と言いつつも焦りはなかったように映っていました。
「移籍市場」という言葉からも分かるように、サッカー界にも「需要と供給」の構図はあります。クラブ=需要、選手=供給です。
クラブが欲する人材は①実力②伸び代③チームカラーに合うスタイルか④チームに与える影響⑤年俸…などが挙げられます。そこにマッチする選手から所属クラブが決まっていきます。
橋本は②と③と④のどれかに引っ掛かってしまっていました。
②【同じくらいの年俸ならば、今年34歳になる選手よりは若い方が良い】
③【欧州リーグとは違ってアメリカ2部相当リーグで選手のスタイルがチームにフィットするかどうかイメージを描きづらい】
④【水戸時代にはプレースタイルが変わったが、名古屋時代に「走れない」「戦えない」というイメージが定着していたこと】
もう一つ補足すれば、各クラブのスタンスの変化。今季は特に少数精鋭でシーズンインする意向を示していたクラブが多かったことです。そのためベテランと呼ばれる選手たちがあぶれる現象が起きていました。
■ライバルたちの現役引退
1月上旬。かつてピッチで戦った戦友たちが次々に引退を表明し始めました。「〇〇も次のチームがなかったの?」。なかには橋本以上に知名度のある選手にいて、さすがにショックはあったようです。彼自身、自らのツテを頼って各クラブの関係者や選手たちに突破口がないが探っていました。ところどころで「興味がある」という情報は届いていたようですが、実際はオファーどころかトライアウトの連絡すらない状況が続いていました。
「もはや、どうしたら良いか分かりませんね」
トライアウトからちょうど1カ月が経った1月15日、彼はポツリと言いました。
「完全に辞めて就職先を探そうかな…。何か良い企業ないですか?」
僕自身、様々な情報は集めていましたが、彼の力になりきれていなかったので、正直、心苦しかったです。でも暗くなりすぎてもいけない。「新聞記者とかは?」と冗談で言ったのは覚えています。彼も気を紛らわすためか話に乗ってきました。そして実のない四方山話が収束した頃、こう言いました。
「オレ、まだ2年はサッカーやりたいんですよ」
折れそうな心を奮い立たせ、彼は地元・金沢で高校生たちと自主トレに励むことにしました。もう正式オファーという形では話は届かない。覚悟しました。その代わり各クラブのキャンプが始まれば、そこで足りないポジションも出てくるはず。その時、トライアウトで参加して実力を見せつける―。一縷の望みに賭け、自らの肉体を追い込みました。
■揺れ動く感情
1月下旬。
各クラブのキャンプが佳境に入りつつある中、どこかのクラブのトライアウトに参加しているという違う選手の情報は入ってくるようになりました。でも彼には何も話が届きません。「もう終わりですかね」「もう少し辛抱します」。揺れ動く感情。供給できる自信はあっても、需要がない現実。かつて川島永嗣選手も口にしていましたが、まさに「自分を信じることも危うかった」。何のために孤独な自主トレを続けているのか。ここまでチャンスがない状況は僕自身も想定していなかっただけに、さすがに〝ヤバいかも…〟と危機感を抱きました。
違うアプローチを考えなければならない。そこで彼に打診したのが、オレンジカウンティーに入団した方式でした。星稜の同級生である本田圭佑が経営参画するクラブでプレーしましたが、彼は本田のコネで加入したわけではありませんでした。オレンジカウンティーは橋本の給料を満額支払いはできず、どうしても海外で挑戦したかった橋本は自ら給料を捻出してくれるスポンサー集めに奔走したのです。そのバイタリティーは本田も「アイツにあんな根性があるとは思わなかった」と言わしめました。
ピッチ外でも「供給」できるものを作る。
トライアウト受験前後は、なるべく上のカテゴリーを目指していました。報酬もプロとしてのある程度の対価は期待していました。でも、この時期、彼が最も欲したのは「戦う舞台」。すでに視線は国内だけではなく、タイなど海外クラブも探っていました。
ピッチに立たせてもらいたい。
それだけを与えてもらえれば…。
僕の提案は本来ならば選手がすべきアプローチではありません。そして彼も決してポジティブな反応ではありませんでした。でも僕は彼のサッカー人としての純粋な気持ちに働きかけ、彼も「探してみる」となりました。
■過ぎる時間、止まったままの時間
2月中旬。いよいよJ1、J2の開幕が近づいてきました。
まだコロナ禍の影響は薄く、東京五輪イヤーへの夢を抱いていた時です。橋本には厳しい現実だけが突きつけられていました。まだトライアウトの話一つ届かず、個人スポンサーも進捗していない状況のようでした。
本格的にJ復帰を模索して3カ月経過。世間の時は刻一刻と過ぎても、彼の中の時は止まったまま。でも無機質な時計は針を進めることを止めません。
彼とLINE電話で長時間、会話しました。そこで聞かされたのは引退後のセカンドキャリアのイメージ。彼には考えていることがあり、その一歩を踏み出すためには…という話になりました。何事にもデッドラインはあります。すでに3カ月も給料のない状態。いつか貯蓄は底をつきます。彼にも家族がいる。潮時かもしれない。お互いに希望の灯火は消えかかっていました。
もはやサッカー選手としてではなく、1人の人間として、どう生き抜いていくべきなのか―。少なくとも僕は、そっちにシフトチェンジしつつありました。
彼には2つの選択肢がありました。サッカー界に残って指導者や経営に携わること。そしてサッカー界ではなく新規ビジネスを立ち上げること。ただ「今、サッカーからきっぱりと離れる」という選択肢はなかったことも確認しました。その中で話し合ったのが①もしサッカー界に残るならば、現役引退はJクラブの方が良いのでは?②違う業界ならば、東京の社会人チームでプレーしながら起業準備を併行させたら良いのでは?というモノでした。まだ迷いが残っていましたが、そのとき初めて『社会人チーム』という選択肢が生まれました。
潮目が変わったのは、まさにこの〝崖っぷち〟の瞬間でした。
■垂らされた蜘蛛の糸
僕の知り合いのツテで将来的なJリーグ参入を目指す東京都のクラブチームが前向きな反応を示してくれました。そのクラブの代表の方が橋本本人と連絡を取りたい、と。2月21日の深夜。僕は彼に「サッカーをする環境が与えられるかもしれないよ」。少しの安堵感を持って伝えたところ…。
「ええと…さっき秋田さんから連絡があったんですよ」
目が点になりました。秋田さんって?
「今年から盛岡の監督になった秋田さんです。練習に参加しないか?と」
元日本代表DF秋田豊氏。橋本は秋田さんと06年、J1名古屋で同僚でした。秋田監督は昨年12月のトライアウト視察に訪れており、橋本のプレーを見ていました。橋本が諦めずにクラブを探していることも知っていたようです。そして盛岡の現在のチームコンセプトや将来的なJ2昇格を目指す上で、橋本の経験を欲してくれたようです(盛岡はJ2昇格ライセンスを保持していない)。
もちろん、当初の望みとは違うカテゴリー。でも一夜のうちに複数の選択肢ができたのは奇跡としか言い様がありません。そして彼は見事にトライアウトに合格し、Jリーグの舞台に戻ってくることを決意しました。
■「努力」ではなく「忍耐」
激動の4カ月。
終わってみれば努力した甲斐があったからだ、とか頑張ったからだは言えません。どれだけアンテナを高く張っていても、どれだけ各方面に打診しても状況は動かなかったですから。本当に運が舞い降りた感じです。ですが運を引き寄せたのは、扉が開いたのは橋本の『諦めない心』『堪え忍ぶ強さ』だったと思います。僕を含めて多くの人間が諦めかけた中、彼だけは最後の瞬間まで希望を捨てていませんでした。
今、盛岡はトレーニングを行っています。週末は激しい紅白戦がメニューに組まれているようです。世界は新型コロナウイルス感染症が拡大しており、Jリーグも再開できるメドが立っていません。橋本のJ復帰戦もいつになるのか分かりません。先の見えない戦いは続いています。でも4カ月もの間、何度もメンタルが追い込まれながら、それでも立ち直ってきた彼は前を向いています。
「今のキツいフィジカルトレーニングも、自分のためだと思ってこなせていますよ」
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