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家族喧嘩で傷口4針縫った話


  ことの始まりは携帯電話の紛失だった。

 09:50分頃起床、湯船につかりながら”スマホ”で動画を見る。
 10:30分頃、コンビニに行くので母にいるものはないか尋ねる。”スマホ”にメモをする。
 10:40分頃、自転車に乗って目的の100円ローソンに到着。言われた物は覚えていたので”スマホは見ずに商品を購入。
 帰り道セブンイレブンで私の欲しい物を購入(100円ローソンでは売っていない)。
 買い物を終えて自転車のロックを外すときの癖で”スマホの入っている尻ポケット”を確認すると、無い。ポケットには大きな穴が空いていた。
 
 私は焦って今まで走って来た道を1から走り直した。2つのコンビニにも再び入店して「落とし物」はないかと店員に尋ねた。
 それでも見つけることが出来なかった私は、警察署に行き捜索願を出してもらうことにした。
 中年警官二人に見守られつつ届け出を書いていると、日頃”スマホ”に頼りっきりだったせいか自宅の電話番号がかけなかった。
 自宅の電話番号をメモして再び出頭するように言われた私は、デジタル世代のモデルケースになったみたいで恥ずかしかった。

 帰宅し、事の顛末を伝えると母は大きな声で「あんた何してんの!?」と言った。
 私は大声が気に触りやや不機嫌になった。スマホを無くして一番困っているのはなんだし、それを責めるような口調はおかしいと思ったから。
 しかしそれで喧嘩するのも嫌だったので、言われたとおり自宅の電話番号だけを聞き出し再び出頭、捜索願の手続きを済ませた。

 その間、母はネットの位置情報サービスを使って”スマホ”の現在地を探してくれていた。
 帰ってきた私に「どうやら誰かが持ち歩いていて、更新する度場所が変わる」と教えてくれた。
 私はセキュリティーロックをかけていなかったので急いでスマホプランの停止をし、カスタマーセンターに問い合わせて今後の対策を練った。

 結論、幾日か待って今スマホを所持している人が警察に届けなかった場合、新しい機種に乗り換えるという話で落ち着いた。
 
 問題はここからだった。

 夕時、私は自室でネットニュースをPCのメモ帳にまとめる作業をして暇を潰していた。
 お腹が空いてきたのでリビングに行くとそこに居合わせた母が開口一番「あんたって謝らないよね」と言った。
 料理中の母が手を止めて私を見る。思い当たる節がない私はキョトンとしている。
  母はこう続ける

 「あんたは物をなくしたりすぐ壊したりする。そのくせ謝ったりはしない。あの携帯だって私達がお金を払ってあんたに使わせてるんだから一言あったって良いんじゃない?
 
 免罪符にする訳ではないけど、私には発達障害がある。そのため思考が利己的になりやすく、この時も「自分の物を無くして、ガッカリ」くらいにしか思っていなかった。謝るなんて発想がなかった。

 だがしかし、私も素直に謝れば良いものの今朝の事やスマホを無くしてナーバスになっていた気持ちが積もっていて反抗してしまった。

 「こっちはいつものテンションでただ夕食が出来てるか見に来ただけなのに、突然そんな事を言われても困る。第一そっちは考える時間があって、理路整然と私を責められるんだろうけど、私はそんな事一切考えてなかったのだから、これって不公平じゃない???

 支離滅裂だ。とにかく素直に謝りたくないのがよく分かる。母は応じることなく、私が言ったと通り”理路整然”と私の悪い所を指摘した。
 流石にプライドだけで反抗するのも恥ずかしくなってきたのだけど、私は”響のミツコ”みたいな謝罪をしてしまった。
 当然納得の言ってない母は怪訝な顔で

 「やっぱ悪いと思ってないじゃん、そーゆーとこ”あの子”と一緒だね」
 
 この発言が私の逆鱗に触れた。

 ”あの子”とは私の個人情報を使い、私から8万円盗んだ後輩の事である。この事は学校でも大きな問題になり、まだ解決していない。しかもこの後輩は事件発覚後の電話口で

「喧嘩売ってんの?」「悔しい?」「なんだったら俺のこと頼っていいよ」
 
 となめた事ばかり言ってくる、基本的に人の気持がわからない子だ。聞いた話だと”あの子”も発達障害であるらしく、罪悪感を感じる事が困難らしい。なので電話で話した際も、最後まで謝罪の言葉はなかった。
 確かに似ているといえば似ている。だけれども今一番デリケートで私が不愉快な思いをした事柄を引き合いに出し、”あの子”と一緒などと言われては私も許しがたい気持ちになる。
 私は

 「いやいや、最後までいくら説明しても問題を理解しないまま謝罪の言葉すらなかった”あの子”と、最初問題がわからなかったけど、途中で理解して、そりゃちょっと態度悪かったかもしんないけど謝った私。この2つを比べて一緒だって言えるの?。日頃から私の態度や言動が悪いって注意するくせに、自分はよくそんな例えができたもんだね」

 とまくし立てて、リビングの扉を力任せにしめた後、自室に戻った。それでも全く苛立ちが収まらない私は卓上のコップを手に取ると窓際のベットに駆け上り、手にしたコップをガラス窓に叩きつけた

 瞬間、私の手のひらから、”まだ半分ほど蛇口が開いている水道”のような勢いでが吹き出した。
 トボトボ、トボトボと勢いは無いが止まる気配も無い。不思議とコップの割れる音や手のひらを切った痛みなどは聞こえないし感じない。ただが流れているのを呆然と眺めていた。幸い、窓ガラスは割れていない。

 私はの流れている方の腕は伸ばしたまま、体育座りでうずくまると突然涙がこぼれてきてきた。傷口を見ると今まで見たこと無いモノが見えた。
 些細なすれ違いで携帯紛失に相次ぎコップまで壊して、こんな怪我までしてるプライドだけは人一倍強いバカな自分が情けなくってしょうがなかった。

 そのままでじっとしていると、血がシーツの上で水溜りになり、私の靴下をグチョグチョに濡らした。

 数十分そのままでいると今さっき帰宅したと思われるが部屋の戸を叩いた。

「〇〇いるかー?なんかママに嫌なこと言われたのか?」
 
 私は言語化不可のうめき声を上げて答える。
 うんともすんとも言わない私に耐えかねて父が部屋に入ってきた。
 
 「どうしたんだよコレ、とりあえず病院行くぞ」
 
 こんな時、父はいつも冷静だ。母が弟を妊娠中に大量出血した際も何も言わずにシーツを取り替えていた。

 私は父に手を引かれるまま家を出ると、車の助手席に押し込まれた。父は何も言わないままエンジンを付けると、古いCDプレイヤーでさらに古いアメリカの黒人音楽をかけ始めた。
私が

 「これだれ?」

と聞くと

 「オーティス・レディング

と父が言った。

 オーティス・レディングと言えばRCサクセションの忌野清志郎が多大な影響を受けたソウル歌手だ。

 私はオーティスについて詳しくないし、自分からオーティスの名盤を聴いたことはなかったけど、ひたすらポップで明るい歌声は感傷的になっている私には優しく響いて、また涙が出そうになって恥ずかしかった。父に悟られないようにパーカーのフードを深くかぶる。

 病院が近づくにつれて私は医者にバカにされるんじゃないか、怪我の理由を聞いたら笑うのじゃないか、という妄想にととりつかれた。私は正直に

イライラしてコップを叩きつけたら手のひらがパックリ切れました」

とでも言うのだろうか。ちくしょう。許せない。バカにしたら殺してやる。胸倉掴んでメガネを叩き割ってやる。私は涙ぐみながら医者に対する増悪をヒートアップさせていた。

 だが実際はあっけなく、とても事務的に終わった。

 傷口を縫い合わせる時、うまく麻酔が効かず血管を引きちぎられる様な痛みに襲われたが、それ以外は風邪の診察となんら変わらなかった。
 
 私はケガの理由をすごく曖昧にして伝えたが、包帯をつけている看護婦さんが言った「コップと喧嘩して負けたんだね」という言葉が印象的だった。

 コップと喧嘩して負けた。まさにその通りだったし、それ以下でもそれ以上でもないなと思った。

 帰りの車内で父は

「ママも今両親を無くして実家もなくなっていっぱいいっぱいだから、キツイ言い方もする。お前はお前でいっぱいいっぱいだから反抗するのも分かるけど、お前が部屋から出るようになってちょっとは調子が良くなった。だからママもお前の事を心配してるし、どっちかが不調だともう片方も不調になる。気遣うってのは難しいだろうけど、わかってやってくれ。要はママもか○わだしお前もか○わなんだよ」
 
と言った。

 自宅に戻った私は母に謝罪した。母は

「モノにあたっちゃ駄目だよ。自分が痛い思いするからね」

 と言って。それ以降は喧嘩をしている敵同士ではなく、家族として接してくれた。

 私が手を怪我している為、ベットの上に散らばったコップの処理と、血だらけのシーツの取替は父と弟がやってくれた。

 今は針を抜き取る施術を麻酔なしでする事を看護婦さんから聞き、その痛みに怯えているが。それ以外は好調だ。

 あとはスマホが戻ってくれば完璧なのだけど、私のスマホを所持している人は何故警察に届けてくれないのだろう。

 それだけが謎だ。 

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