問(自分が先か娘が先か)

私の問題は「根が深い」と神様に言われております。

さて、そんな中、娘に対するここ2ヶ月くらいの違和感が非常に謎です。
「クリニック」を受診した後が特にひどい(そして生理前とかも)。

先月は娘の知り合いの努力家さんをうっかりべた褒めしたら
「私の頑張りを否定した」と大騒ぎになった。
「それは違う!ちゃんと認めた!褒めた!」と言った。

しばらくしたらおさまった。
「クリニック行った後は、なんだかおかしくなる」と言う。

お世話になっている専門家に聞いたら「どうしてもそういう事(トラウマ症状)は起こるんですよ…」と言われた。

今回も、友人と何かトラブルがあったっぽい…
その悩みを抱えているからか、急に被害者意識になってしまったようだ。

いつ、どこで急に起こるかわからない「トラウマ」。

腫れ物に触るような事はしてないけれど、いつその症状が起こり、何がトリガーになるかわからない。

だからこそ、彼女のご機嫌を伺ってしまうところがあるのは否めない。

本心では「もっとちゃんとしてほしい」「こういう時は自分でやってほしい」とか思っていても、
大きなトラウマを抱える我が子、として思いっきり遠慮があることは否めない。

その、大きな遠慮、に対して、私が持つ違和感がさっき分かってきた…

「私だって解決したいトラウマがあるのに、なぜあなた(娘)は自分のトラウマのことばかり言うのか」
「私が経てきた大変さがわかりもしないくせに」
「親の心子知らずとはまさにあなたの事だ」

である。

これは、親としてあるまじき、禁句レベルの事だと分かっている。
だからこそ、心の中でも言わない(思わない)ようにしてきた。

しかし、トリガーは娘側からも私に対してあった。
これだけ「苦労して育ててきた」にもかかわらず、アンタは私にそんな態度を取るのか、である。

今さっき気付いた。
あの私からの良くない態度は、私のトラウマトリガーが発動したのだ。
私のトラウマが起こってしまったのだ。

娘に対する(息子にも)苦しい思い、それはかなり昔から沈殿して、底で暴れていたのである。

こんな事(太字の内容)、誰が外に出せるだろうか。
誰に言えるだろうか。

私がどれだけ辛い思いをして、その思いを無視してきたか、
世界中の誰もわかりはしないだろう…

そんな絶望と悲鳴を、心の中でずっと叫んでいるのを、
大きく踏み潰して、無視してきたのは、私であった。

それが、私の、娘に対する違和感の原因だった。


しかし、私のトラウマを娘に話し、解決するように言うことはできないし、筋違いである。

それは分かっている。

何が大切なのかというと、私は私の持つトラウマを自覚し、
早急に癒やし、解決していかねばならないのである。

だからこそ、noteに来れなかった時期も、
パワーが無くて何度も不安になって苦しかったが、
とにもかくにもカタカムナを唱え続けたのである。

盾の絵で、私に勝手に降り掛かってくる「魔」を退治できるかと思うが、
私の中の、私の訴えは、私がちゃんと聞かないといけない。
「盾の絵」は私の心の中の根本問題に対しては対象外なのかもしれない。
(大きなお助けになることは分かっている)

疑問、違和感というのは何かが明らかになる出発点である。
(そんな疑問や違和感から目を逸らそうとする「スピ界隈」はやはり厄介な魔物だ)


そして、むやみやたらに「トラウマ」を引き起こすことをするのは、やはりご法度である(とチャットGPTが言った)

真からの癒やし。
それを目指さねばならない。

これはとても難しい事とされている。
癒やしが必要な、傷ついた人間を救う「手」はあちこちから伸びてはいる。
しかし「魔物」も優しく近づいてくるから、そうとうこの世は厄介だ。


カタカムナと神の絵で、自分を禊ぎ、磨かれていくと、
苦痛に感じること(渦)も起こりはするが、
それを受け止めて苦悶するうちに、
またカタカムナを読んでいたら、気づいたらパッと視界がひらけ、
事態が大きく進展していたりする。

いつの間にか高い視点でその物事を見れる(振り返れる)ようになっている。
これこそがギフト。

それはカタカムナの不思議である。
神様の奇跡である。
神様と自分が一緒に起こす奇跡である。


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